恕とは、広辞苑をひもとくと、思いやり、同情心とでてくる。
しかし、恕にはもっと深い意味が含まれている。 儒家の祖である孔子は、他人のことを自分のことのように思う心が恕であるといっている。 「論語」の中で、 弟子の子貢が師の孔子に「一語だけで、それを守りさえすれば人の道に外れることがなく生涯が送れるという言葉はないものでしょうか」と訊ねる。 すると孔子は、「それは恕かな」、と答えたという。
私は、弘前大学の教授として現役の頃、医学生や若い医師に、何か良い言葉をと揮毫を求められた。その時、「医の心は恕の心」とよく書いた。 すると決まったように、どんな意味ですか、と聞かれる。患者さんのことを自分のことのように思いなさいということだ、と説明した。
沢田美彦院長は、昭和52年、私が教授になって間もない3年目に、私共の第一内科に入局した。それ以来の付き合いである。 一時期、彼はアメリカでも学術・診療レベルで1、2位を争うメイヨー・クリニックという所に留学した。 向こうの研究者達と互角にわたる優れた論文を書き上げた一級の医学研究者でもある。 その彼が医院を開業して15年になるが、開業から10年の間、医師会の仕事で留守にするまで、休診が1日もなかったと知って私は驚いた。 と同時に、自分のことのように患者さんを思い、ひたむきに頑張って来た真摯な態度に、頭が下がる思いがした。
超多忙ともいえる日常診療の中で続けられたこの「沢田内科医院ニュースレター」も、その隔月発行に一度も遅れたことがなく、 第60号がこの度出された。その後半を今回一冊にまとめられたという(前半はすでに発刊)。患者さんのために書かれたこのニュースレターであるが、 これによって私も沢田院長の診療方針や診療内容、そしてスタッフの動きなどを詳しく知ることとなったが、そればかりか、 国の医療事情などについても、その分かり易い解説から学ばせられることが少なくなかった。 その都度、次号が送られてくるのを待ち望んでいたゆえんでもある。
医師と患者さんのよき関係は診療上きわめて重要であるが、それを構築する一方で、治療内容などを十分に説明し、 了解を得た上でそれを行うというインフォームドコンセント(説明と同意)という言葉がある。 このニュースレターによって、沢田医院を訪れる患者さんは、当医院の診療方針などをよく理解し、 院長に満幅の信頼を置いて診療を受けているに相違ない。 その事を考えれば、沢田医院にはすでにある意味でインフォームドコンセントが出来ているともいえる。
「恕の心」での医療をとの私の願いに、沢田院長は全身全霊をこめて応えてくれているようで、元上司として欣快の至りである。 これからも沢田内科医院ニュースレターを続けながら「恕の医院」としてますます隆盛することを祈念して止まない。
第61号より