医師の仕事は、肉体労働です。体力なしではとても続けられません。 何ごとにも通じることですが、健康第一です。最近、その肉体労働がデスクワークに変わってきています。 患者さんの診療で時間が取られるのではなく、書類と格闘する時間が長くなってきたのです。 この傾向は、医療制度が変わってきたこと、医療訴訟が多くなってきたことと共に年々強まっています。
1人の患者さんの診察が終わると、検査項目を指示し、薬の処方、健康保険で求められている事項をカルテに書きます。 最近は書類が多く、患者さんに接している時間よりも、書類と向き合っている時間が長いのではないかと思うくらいです。 そして、夕方、外来が終わると、またもや書類が待っています。 入院患者さんからの入院証明書、介護保険の意見書、カルテの整理、月の初めは保険請求の書類、とにかく書類の山です。
私は自分でやらなくてもいいことは、できるだけ他の職員がやるようにシステムを作っています。 しかし、どうしても自分でやらなければならないこともたくさんあります。 医師不足といいますが、本来、医師がやらなくてもいいことまで医師が時間を割いているので、 医師不足を助長しているのです。 私は自分の意志でかなりのことが自由にできますが、大きな病院に勤務している医師は、 その自由が少ないのではと気の毒に思っています。
自分が行った医療行為を書類に残すことが求められています。 これは本来当たり前のことで、これには反論できません。 最近は、医療事故のことが報道されない日はありません。 医師の間では、「それでは裁判で負けるよ」という話が多くなりました。 自分がした医療行為をすべてカルテに残さなければ、裁判になった時に負けるというのです。 本来、患者さんのために使える時間を、医療事故が多くなってくると、 医師は自分を守るための時間に使っているのです。
これは医師にとっても患者さんにとっても不幸なことです。 でも、何か起こるとすぐ医師が訴えられるのであれば、信頼関係を築くことではなく、 その医療の正当性を書類に残すしかありません。信頼関係は築くには長い時間がかかりますが、 壊れるのは一瞬です。自分の立場を守るためには、やはり、書類にして残すしかないと考えるのが当然です。
アメリカでは、医療費の半分くらいは医師の防衛のために使われているのではないかと言われています。 裁判になった時に証拠を残すために、本来は不必要なことをしておくのです。 つまり、一見、患者さんのためにしている検査が、実は、医師を守るためになされているのです。 あるいは、本来であれば自分で処置できることでも、「なぜ専門医に診せなかったのか」などと 言われないために他の専門医に診察してもらっておくことなどです。
このような医療を防衛医療といいます。 現在の私の状況を考えてみると、防衛医療として行っていることはほとんどありません。 しかし、医療事故がこれほど問題になると、考えなければならない段階になっているのかも知れません。 医師が自分を守るために医療を行い医療費を使う、日本はこんな状況になって欲しくないものです。
第35号より