高校で世界史が必修なのに、未履修のまま卒業していたことが分かりました。 在学している高校生は、残り少ない期間で履修せざるを得ないようです。 特に、受験生は、こらからが大事な時期だというのに、受験とは関係ない教科に時間を割かなければならないようです。
この問題で、未履修のままでは、まじめに履修した受験生と不公平が生じるので、 決められた時間の授業をやるべきだという議論があります。 世界史を履修しないで、受験科目を勉強した受験生は、世界史の授業を受けた受験生よりも、 受験科目に勉強時間を割けたということでしょう。
不公平といいますが、世界史の授業を受けられなかったのですから、 その機会を奪われて損をしたということです。 しかし、このことについての議論はほとんどありません。 教えてもらうべきことを教えてもらわなかったことは、不幸なことです。 でも、すべてが大学受験を軸に議論していますので、勉強したことが無駄な時間を費やしたと考え、 世界史を習った方が不利益だという不公平が生じたということになるようです。
履修ということ自体も実体のないことで、こんなに議論するようなことなのかとも思います。 指導要領という規則があり、それに沿わなければ卒業できないというのは、 法秩序で成り立つ現在の社会では正当な議論です。 しかし、出席していればその教科を履修したことになり、内容を習得したかどうかは関係ないようです。 つまり、形式的なことを満たしていればいいということで、実質的には違いがありません。
現実には、分数の計算もできないで中学校を卒業していますし、 中学生程度の英語も理解できないで高校を卒業しています。 数学が分からずに高校を退学したという話も聞いたことがありません。 世界史を履修したといっても、内職と称して別の受験科目を勉強するのは、今に始まったことではありません。
このようなことに巻き込まれた高校生を気の毒に思います。 受験を控えたこの時期に、まともに世界史の授業を行うのであれば、 受けたくない世界史の授業を受ける高校生も気の毒ですが、 聴く気もない高校生を相手に、不毛な行為をやらされる教師も気の毒に思います。 規則は規則だとか、不公平感を持たせてはいけないなど、建前で無駄な時間を費やすことはせずに、 現実的な対応ができないものでしょか。
第36号より