平成18年9月6日、秋篠宮家に男の子が生まれました。 天皇家では41年ぶりの男の子の誕生で、ひとまず皇室典範改正の議論はなくなることでしょう。 天皇は男系男子で続いているのだそうです。私には、この男系男子ということが理解できませんでした。 でも、ちょっと生物学的な知識を必要としますが、竹内久美子さんの説を読んで納得できました (文芸春秋2006年4月号)。
人の遺伝子は46個の染色体に乗っています。性別を決めるのが性染色体で男はXY、女はXXです。 対で存在するX染色体は組み換えが起こりますので、同じX染色体が代々受け継がれることはありません。 これに対して、男だけが持つY染色体はほとんどそのままの形で男から男へと受け継がれます。 つまり、Y染色体は、そのままの形で何代にも渡って受け継がれているのです。 これが男系男子の生物学的な理解のようです。
染色体のことが分かったのはここ数十年のことですので、もちろん、 昔の人がY染色体のことを知っていたわけはありません。 つまり、Y染色体を代々受け継ごうとしたわけではないのに、 1,500年も受け継がれてきたことには驚きとともに、神秘ささえ感じます。 これまで8人の女性天皇が存在したということですが、 Y染色体は途切れずに同じものが代々受け継がれてきたのです。 ということは、望まない婚姻もあって続いてきたのでしょう。
「徳川将軍家十五代のカルテ(新潮新書)」を読んでみると、260年続いた徳川幕府は、 江戸城のかなりの面積を占める大奥があったこと、そして、側室がいたから続いたのだといいます。 将軍家の最大の仕事は、戦いの指揮を執ることでも、世の中を治めることでもなく、世継ぎを生むことでした。 天皇家が続いてきたのも、その半分は側室の子であったからだといいます。 現代の一夫一婦制では、これまでのように世代をつなぐことはできないでしょう。 1,500年続いたことが、社会の変化により、たった100年で崩れようとしていることも驚きです。
天皇家の系譜が男系男子で続いているということは、学問的には否定されているようです。 でも、ちょっと怪しげではあるが1,500年も続いてきたということを、 私たちの世代で終わってしまうのは、残念な気がします。 もう少しこのままにして、結論は先送りした方がよさそうです。 イギリス王室は1,000年にもなりません。それも女王が就くたびにY染色体は断絶しています。 これだけでも日本の天皇の存在に神秘さを感じます。 ただ、現在の男女平等の世の中、天皇家の人々の人権を考えると何か割り切れないものがありますが。
話は変わりますが、弘前市の市章『卍(まんじ)』が廃止されるかも知れません。 『卍』は日本の地図帳ではお寺のシンボルとしてお馴染みです。 弘前市は、この2月に岩木町、相馬村と合併して新弘前市となりました。 そこで、現在、弘前市では市章を募集しています。 合併で新しい弘前市になったのですから、岩木町や相馬村と一緒になる意味で新しい市章にするのが当然なのでしょう。
ナチスヒトラーの象徴のハーケンクロイツ(『かぎ卍』)は、 欧米人の多くにとってはナチスとファシズムのシンボルとして認識されています。 現在のドイツの法律では学問的な理由を除き、ハーケンクロイツの展示および使用は不法であり、 処罰の対象になるそうです。 このようなことを連想させる『卍』は、国際化が進む現在では不都合なことも起こっているようです。 しかし、東洋の『卍』は仏教の吉祥(めでたい、良い兆し)を表わし、昔から家紋としても用いられています。 『卍』を家紋として用いた氏族としては、江戸時代の阿波徳島藩主蜂須賀家と、 わが津軽藩の津軽家が有名です。 戦国時代には、『卍』を旗印に出陣したのでしょう。
400年の歴史を持つ『卍』を、弘前市は明治33年から市章としてきました。 津軽藩から続く『卍』の伝統の重みを考えた時に、弘前市の市章として『卍』を残すのが賢明ではないかと思います。 マンホールの蓋の印を変えるにはお金がかかるから『卍』はそのままでという人がいますが、 私は、そんな経費の話などではなく、ただ単に400年も続いている『卍』だから残して欲しいと思っています。 9月11日には、新しい市章が決まるようですので、このニュースレターが発行される頃には決着がついているはずです。 今回よりも多くの村が合併した昭和30年の大合併では、市章は変わらなかったのですから、 今回も変えないで欲しいものです。
明治12年創業の老舗である開雲堂には『卍最中』があります。 このお菓子は、津軽為信公300年を記念して、明治39年に作り始めたのだそうです。 お店に電話で伺いますと、デザインも味も当時と変わらず作り続けているとのことでした。 弘前市の市章が変えられると、残るのは開雲堂の『卍最中』だけになりそうです。 ついでに教えてもらったのですが、 おめでたい時に配る『紋章』という卍とボタンが2個でセットになっているお菓子もあるとのことでした。
年を重ねるとともに、伝統や歴史ということを考えるようになりました。 自分が生きている時間は、歴史の中ではほんの一瞬でしかありません。 受け継いだものを次の世代につなぐ、これが、生きている者の役目ではないか、 伝統を今生きている者の都合だけで変えていいのだろうか、いや、変えること自体も伝統の一部なのだ、 などと天皇家の男の子の誕生や弘前市の市章の制定に関連して、いろいろ考えてしまいます。
第35号より