佐藤多作さんは95歳で西目屋村の自宅で療養しています。たまに車椅子に移る程度で、ほぼ寝たきりの状態です。 心臓が弱い多作さんには、力仕事をしないようにと話していたのですが、働くことが好きな多作さんは、 ついこの前まで雪片付けなどをしていました。 しかし、次第に体具合が悪くなり、とうとうベッド上で暮らすようになってしまいました。
多作さんには多吉さんという兄がいたようです。「自分は『多作』で、いつでも田んぼを作っていなければならなかった。 兄は、『多吉』でいいことが一杯ある名前でうらやましい」と言っていました。 多吉さんはどうしていると聞くと、「5,6年前に死んだ」と。 「それだと、娘4人に囲まれて暮らしている多作の方が良かったのではないかなぁ・・・・」と言うと、「んだえなぁ・・・・」と。 娘さんたちの世話で褥瘡もなく、快適な生活をしています。
入院中に、どうしたら食欲が出るかを話し合った時に、私は多作さんに晩酌をすることを提案しました。 多くは飲めませんでしたが、お酒を飲むことで食欲が出てきましたので、 血管から入れていた栄養を止めることができ、退院することができました。 晩酌は、自宅へ帰ってからも続けていたようです。 おちょこで3杯も飲むと酔ってしまうのだそうですが、おいしく飲んでいるとのことでした。
ある時、どれくらい日常生活ができるのか確認するために、食事の仕方を尋ねてみました。 電動ベッドで座ることができますが、箸や茶碗をもつことができず、食事は家族が介助で食べさせているようです。 そこで、「お酒も、家の人に飲ませてもらっているのですか?」と多作さんに聞くと、世話をしている娘さんが、 「お酒は自分で口元へ持っていって飲むんですよ」とのこと。
「ええっ!!それじゃ、ご飯を食べさせてもらっているのは、娘さんたちに甘えているわけだ!!」と私が言うと、 「ははは・・・・」とはっきり答えてくれませんでした。 どうも、お酒に関しては自分で口元に運ばなければ、飲んだ気がしないようなのです。
あと何ヶ月かと思われたその多作さんが、先日、「あど2,3年は死なえね」と言うのにはびっくりです。 今の状態は奇跡的なことで、本当は1年半前に危篤状態となり、強心剤などでやっと持ち直したのです。 昨年の冬は、桜が咲く頃まではどうかなと心配していましたが、もう少しで2回目の桜が見られそうです。
ここまで書いてきて思い出しました。世の中には信じられないことが3つある、とニュースレターに書いたことがありました。 『男のひと言、女の涙、そして、医者の診断』。よく、「医者に6ヶ月と言われたけど、1年も生きた。」という話を聞きます。 でも、私は血液疾患や悪性腫瘍で亡くなった患者さんをたくさん診てきましたが、 患者さんがいつ亡くなるかを予想するのは大変難しいことで、神様にしか分かりません。 多作さんの予後診断も、どうも『医者の診断』だったようです。あと、2,3年、なんとか頑張りましょうね、多作さん。
第38号より