個人情報保護法がいろいろな場面で問題になっています。 基本的に個人情報を保護することには私は賛成です。 しかし、過剰に反応しているのではないでしょうか。 何かの名簿を作るには、承諾を得られない人は名簿には載せられないので、 現実には役に立つ名簿は作れないことが多くなりました。 世の中には、すべて対立するものがあります。 個人情報保護法もありますが、一方で情報公開法というのがあります。 適用する範囲が違うのかもしれませんが、矛盾する法律ですね。それだけ、議論が多いからだと思います。
医院では個人の健康状態に関する情報ですから、特に気をつけています。 電話での問い合わせが多いのですが、相手を確認できなければ、問い合わせには応じていません。 ご家族が遠くに住んでいて、心配して電話で問い合わせしてきた場合には、 本当に申し訳ないと思うことがあります。 そんな場合は、患者さんに出てもらって受話器を私が受け取る、こちらで電話番号を調べて電話をする、 患者さんを通じて予め日時を指定して電話をしてもらう、などで対応しています。 ただ、患者さんが入院しているかどうかだけを目的に電話をしてきた場合は、 このような対応をしても電話の主には個人情報を漏らしてしまったことになります。難しいものです。
さて、日本に必要なのは武士道精神と訴えた「国家の品格」の著者、藤原正彦さんによると、 個人情報保護法というと聞こえはいいが、実際は個人情報隠蔽法になっていると言います。 私も確かにそう思います。何かを問い合わせても、個人情報を楯にして教えてくれなくなりました。 子どもたちの学校関係での連絡も名簿がなくて困ることがあります。 個人情報保護法は個人を隠蔽することにより、個人は守っていますが、社会は崩れ始めています。 社会が崩壊すると個人の安全は守れません。個人情報保護法の本来の目的は、 個人が安全に暮らして行ける社会にすることのはずですから、これでは本末転倒です。
個人情報を理由に、高校入試の結果は新聞では発表しなくなりました。 医師国家試験も新聞では発表しなくなりました。 以前は、知人の子どもや近所の子どもがどこの学校へ合格したのかが分かりましたので、 道で出会った時には、お祝いの言葉をかけてやることができました。 でも、最近は、道で会っても話題にすることすらできなくなりました。 それだけ、社会生活での付き合いが浅いものになってしまいました。
個人情報が隠されると、いわゆる匿名社会になります。 「このほど、ある小学校の男性教師が飲酒運転で交通事故を起こし、免職になりました。」、 「県内のある市で、このほど、中年男性が会社役員を殺害し逮捕されました。 なお、殺害理由については取調べ中です。」、「津軽地方のある市長が使途不明金疑惑で告訴されました。 なお、市長は訴状を読んでいないのでコメントできないとのことでした。」など、 こんな新聞記事しか読めなくなりそうです。
ポケベルでメル友が拡がりだした頃から、匿名社会の状況になってきたのではないかと思っています。 自分は物陰に隠れて相手を観察し、都合が悪くなれば、その場から逃げてリセットしてしまう。 このような状況では、人と人が向かい合って、相手の心の動きに合わせて自分の言葉を選んで 物事を進めて行くという訓練がなされなくなります。 その結果が、現実社会でどうしたらいいか分からなくなった時に、「切れる」、 あるいは、「逆切れ」という状態になるのではないかと思っています。
尊厳死や安楽死のことを、医師、患者、家族の関係から切り離して、法律で決めることには違和感があります。 ましてや、末期がん患者さんの治療法まで法律で規定すべきたという議論には賛成できません。 人が死ぬ時というのは、非常に個人的なことです。 それまで治療してきた軌跡、生前の本人の希望、家族を含めたその場の雰囲気、医師の死に対する考え方、 いろいろなことが複雑に交じり合っています。 患者さんが亡くなる時に、インフォームド・コンセントで、死に方を書類に残し、 署名して残すなどというのは、人が亡くなる瞬間にはそぐわないことです。 法で決められるようなものではありません。 生きることや死ぬことに関して、裁判官の方が、医師や家族よりも詳しいのでしょうか。 このようなことを法律で規定することは、看取りの現場を全く無視したものです。
20数年前にアメリカに住んでいた時は、アパートに表札はなく、番号だけでした。 日本でも、表札を出さない人がいるようですが、町内を散歩してみると、ほとんどの人は表札を出しています。 私の故郷、西目屋村では、いまだに留守をしても鍵を掛けていない家が多いと思います。 無用心だと思うかもしれませんが、掛けたくても鍵がないんです。
「以心伝心」、とか、「あうんの呼吸」、という言葉が日本にはあります。 法律で規制しなくても、自然に社会が機能している日本社会は崩壊してしまうのでしょうか。 『良心』とか『性善説』という言葉が好きな私は、 何でも法律やマニュアルで決めてしまう世の中にはなって欲しくないと思っています。
第34号より