福島県で県立病院産婦人科医が医療ミスで逮捕されました。これには私は大変驚きました。 新聞報道でしか事情は分かりませんので、逮捕された理由はもっと他にあるのかも知れません。 しかし、たとえ医療ミスとはいえ、通常の医療行為で逮捕されるということは、 医師としては、大変な状況になったものと思っています。 「これを失敗したら、逮捕されるかも知れない」、と思いながら診療を続けることはとてもできないからです。
はっきりしていることがひとつあります。医学に関して、私たち医師は、 一般の人とは比べものにならないほどの知識を持っていることです。 ちょっと難しい言葉では、『情報の非対称』というようです。 つまり、医学的なことに関しては、医師は患者さんを丸め込むことは実に簡単だということです。 そこで医師には高い倫理観が要求されるのです。
医師は、税金をごまかし、金儲けに走り、経験もない手術を平気でする。 黙っていれば、何をしでかすか分からないので、患者さんは自分の命は自分で守らなければならない。 これが新聞などの論調です。しかし、そうでしょうか。私は性善説を信じます。 医師はみんな高い倫理観を持って行動しています。 今回の逮捕の件のように、一つひとつの医療行為を、後から検証すると、不十分なことがあるのはむしろ自然です。 「あの時、抗がん剤をもう少し少なくしていれば、敗血症にならずに亡くならなくてもよかったのではないか」、 「私が受け持ちでなければ、もっと早く診断がついて助かったのではないか」などと、 私にも後悔することがたくさんあります。
どの業界でも、人間社会を構成する人はみんな考えて行動しています。 「自分はちゃんと考えてやっているのに、あの連中は何も考えず勝手なことをしている」、 などということはありません。 「何を考えているんだろう、きっと何も考えずに行動しているんだろう」、 と思っている人でも、話をしてみれば、みんなそれなりに考えていることが分かります。 みんな悩んでいます。ですから、私は性善説を信じるのです。たとえ、お人好しと言われようとも。
今回の逮捕を契機に改めて思ったことは、医療とは何とリスクの大きな職業なのだろうかということです。 毎日、危険と隣り合わせの仕事をしていて、ちょっとしたミスで逮捕されるのであれば、 とても続けることはできません。 特に産科は、新しい命が生まれ、おめでたいことが当然。 最近、産婦人科医になる若い医師が少なくなっていますが、何かが起こると訴訟になる、 そんな世界に好き好んで飛び込む若者が少なくなるのは当然です。 使命感や倫理観で成り立たせようとするのには限界があります。社会全体で守るシステムが必要です。
高い倫理観を持ち、性善説を捨て切れない、そして、ちょっと臆病、そんな医師が行う医療に対して、 訴訟で報いるような現在の状況では、診療は萎縮し、安全志向の医師が多くなり、 結果として社会の不利益になるのではないでしょうか。
第32号より