先日、弘前市民会館で小椋佳のコンサートがありました。57歳であることを何回となく繰り返し強調していましたが、デビュー30年を記念したコンサートでした。前に比べ声につやがなくなったように私は感じましたが、豪雪が続く今年の冬の影響で少し風邪気味だったのかも知れません。
私が小椋佳を知ったのは大学2年、今から30年前である。高校同期の友人の渋谷君が、「すごいのが出た。甘い声をしているが、このジャケットの写真の人ではない。本職は銀行員らしい。」と「彷徨(さまよい)」という題のLPを持ってきました。それが小椋佳でした。彼は浪人2年目の身でしたので勉強第一、私がそのLPを借りっぱなしにし何回も繰り返し聴きました。「しおさいの詩」、「木戸をあけて」、「少しは私に愛を下さい」など静かな寂しい歌ばかりでしたが、メロディー、歌詞、歌声、どれもすばらしく、すぐにファンになってしまいました。
大学を卒業してからは歌を楽しむ余裕もない生活を送っていましたが、88年に県立中央病院へ赴任してからはCDを買い集め、コンサートへも足を運びました。今回のコンサートは弘前では2度目でしたが、前回とは全く違う印象を持ちました。デビュー30年ということで、その当時の歌が多かったせいでしょうか。「さらば青春」などを聴いていると、大学時代のことが頭の中に鮮明によみがえってきました。その歌の作られた背景が語られるとその情景が分かり理解が深まるのは当然ですが、若い頃の自分と重なってしまうのでますます忘れられない歌になってきました。
小椋佳は声が澄んでいて、メロディーがすばらしいだけではありません。私はその詩の方が好きです。素直で、意味が深く、そして感情を表す言葉がどうしてこんなに浮かんでくるのでしょうか。例えば、「シクラメンのかほり」を思い浮かべてみてください。どうすればこれだけ見事に気持ちを表現できるのでしょうか。自分の周りを通り過ぎていくことや時間を私とは違った目と心で見ているのでしょう。私は小椋佳を聴き続けてきて言葉を大切にしなければならないことを知りました。
小椋佳の歌は美空ひばり、布施明、井上陽水、堀内孝雄などたくさんの人によって歌われています。メロディーには連続性が感じられますが、年とともに成熟してきているように思います。最近では五木ひろしが「山河」というスケールの大きな歌を歌っています。時の流れに逆らうかのように「今」を大切にし、その上に自分の未来を築こうとしている、つまり、時代に迎合して売れるように作った歌ではなくて、自分の気持ちを素直に表現した歌だと私は思います。こんな歌を聴くと、私もこのように成長してきているのだろうかと思い返してしまいます。
その後、渋谷君は仙台の大学へ進学し、今は静岡の御殿場で奥さんと歯科医院を開業しています。LPレコードは返すこともなく私の家にあります。
第2号より