昨年のねぷた祭りは死亡事故のために突然終了した。それを受けて、異例のことではあるが2年連続でねぷた実行委員長を務めることになった。今年は、昨年の事故を受けてアルコールは禁止とした。また、新しい試みとして、組ねぷた(人形ねぷた)を運行することになった。
4月、「呑龍さんを囲む会」が鍛冶町で開かれ、絵師の三浦呑龍さんの構想が発表された。鏡絵は「三国志 関羽と黄忠、長沙の戦い」、見送り絵は「出雲の阿国」と決まった。弘前ねぷたは元々は組ねぷたが主流であったが、組ねぷたの一部分が現在の扇形の弘前ねぷたになったことをこの場で知った。ただの飲み会ではあったが、根っからねぷたが好きな人たちの集まりであることは、最初から最後までねぷた以外の話が出て来なかったことが証明していた。
岩木山神社へ晴天と安全祈願のお参り、呑龍さんへご挨拶のための訪問、賛助金を集めるためのお願い、薬品卸会社、医療機器会社などへ協力のお願い、医師会職員に対してのねぷた制作や運行に関しての説明会、実行委員長としていろいろな仕事があった。
7月31日夕方、安全祈願と魂入れ式を行った。準備万端である。8月1日、いよいよねぷたの初日である。弘前公園外堀の通りで待機した。集まる人が次第に多くなり、どこからともなく太鼓や笛の音が聞こえ始める。少し暗くなる頃にはねぷたにも火が入り、発電機の音も混じって、祭りの雰囲気が次第に盛り上がって行く。
さて、いざ出陣!!桜大通りの審査会場を過ぎ、一番町から土手町へ進行だ。左右の歩道にいる観客は例年よりも多いのではないかと思った。知人からは大きな声援をもらったり、大きく手を振ってアピールする人もたくさんいた。
土手町の運行が終わり医師会へ戻った。屋上で「なおらい」である。楽しい時間を過ごして、家に着いたのは11時頃だった。こうして1日目は終わった。今年は、8月1日、3日、5日の3回出陣した。5日は駅前から大町の通りで運行し、3日間ともに天候に恵まれた。ねぷたの運行は事故もなく無事に終わった。
ねぷた祭りの楽しさのかなりの部分は待機時間の過ごし方にあります。アルコールが入っていなかった今回は盛り上がりに欠けてのは事実です。また、青森ねぶたには「スター・ウォーズ」での参加申し込みがあったようですが、展示にとどまり実際には運行されなかったとのことです。五所川原の立ちネプタには「ジュンコねぶた」が運行されました。
弘前ねぷたは昇降装置を備えて大型化してきました。ねぷたには伝統があります。しかし、ただやり方を頑なに守るのがいいのか、時代の変化に合わせてねぷた自体にも変化が必要なのか、みんなが考えながら対処しなければならない問題だと思います。
第89号より