最近、音楽を聴いた時と本を読んだ時に、自分の心に余裕がなくなってきたのかなぁと思うことが二つあった。
大学時代や医師になって間もない頃は、小椋佳、井上陽水、阿川泰子をよく聴いていた。その他にジャズと映画音楽を書き物をしながら聞いていた。最近、十和田市で有名なオーケストラのコンサートがあるとテレビで何回もコマーシャルが流されていた。懐かしくなり、映画音楽のCDをアマゾンで買った。
しかし、懐かしい曲を聴いていても、かつて感じたような心地よさが全然感じられない。なぜなんだろうかと考えてしまった。理由も何もなく、どの映画音楽を聴いても、前のような心地よさが感じられない。小椋佳や井上陽水もそうなのかと聴いてみたが違う。阿川泰子のボーカルも久しぶりだったが心地よく聴こえた。あれほど好きだった映画音楽が心地よく聞こえない。やっぱり受け取る自分が変わってしまったのかなぁと思った。
元号の「令和」を提案したという中西進さんの本を読んだ。「日本人の忘れもの」という題名で、日本語のことや日本文化について易しく書かれている。私は高校から大学にかけては小説をたくさん読んだ。その後は、小説を読むことはほとんどなくなった。専門書はもちろんだが、どちらかというと実用的な、テクニカルな本ばかり読んできた。
私は国語辞典を使う回数は、他の人たちよりもずっと多いと思っている。いつも使うのが「新明解国語辞典」、新明解と比べるためと新しい言葉の意味を確かめるために使うのが「三省堂国語辞典」だ。でも、中西進さんの本には、言葉そのもの由来から書かれていることが多く、国語辞典とは全く違う言葉を知ることができた。
これを読んでいて、今まで読んできた本は、何と表面的なことばかりだったのだろうと思った。日本語の深い意味を知りながら本を読んでいれば、もっともっと言葉を味わいながら読むことができただろうなと。今からでも遅くはないので、日本語をもっと深く知りながら本を読んで行こうと思っている。
やっぱり、時間に追われた生活をしてきて、心に余裕を持つことができなかったためなんだろうなというのが結論である。
第113号より