教師や医師など、「先生」と呼ばれる人々の権威失墜ははなはだしい。 学級崩壊や医療事故が多発すれば、それも当然のことでしょうが、原因は何なのだろうか。 教師としての働きを十分に果たしていないからなのでしょうか。 医師に求められる当然のことをしないために医療事故を起こしていると思われているからなのでしょうか。
教育も医療も、本来、ある種の権威が存在する現場です。 つまり、教える立場と学ぶ立場、医療を与える立場と受ける立場、 そこには、専門性を背景とした上下関係があって当然の現場です。 しかし、現代社会では、このような上下関係は非民主的ということで、極力否定されてきています。 「友だちのような」教師がもてはやされ、医師の「パターナリズム(父親の保護的な姿勢)」は非難されてきました。 私は、教師や医師の「専門性としての権威」が否定されてきたことが、 学級崩壊や医療崩壊のひとつの原因ではないかと考えています。
真夜中に当直して救急現場で頑張っている内科医に対して、 子どもを連れてきた親が、「小児科の先生に診てもらえないですか?」とか、 打撲で受診した患者さんが、当直の外科医に、「整形外科の先生に診てもらえないのですか?」、と要求することがあります。 自分の専門ではない場合、真夜中の当直の現場では、 すぐに専門医を呼ぶか、翌朝まで自分が責任をもって診療を行うか判断に迫られます。 とりあえず診療を行う夜間救急の現場で、「小児科医に診てもらえないのですか?」と言われるとがっかりします。 深夜の救急の現場で、自分ができる限りのことをしているのに、 このように言われると信頼されていないという気持ちになり、「やる気」をなくしてしまうのです。
最近の教師は、学校での学習以前の、本来、家庭でなされるべき生活指導に多大の時間や労力を費やしたり、 保護者からの理不尽な、一方的な要求が多いとも聞きます。 これも、保護者の権利意識が強くなり、教師の専門性が軽視されている一つの証拠だと思います。 将来、子どもたちが一人前の大人として生きて行けるように、勉強や集団生活の指導をしている教師に対して、 敬意と尊敬の念を失うことは、結果として、自分たちの首を絞めていることだということを認識しなければならないと思います。
教師や医師に対して、尊敬しなければならないと言っているわけではありません。 学校や病院の場合だけではなく、人に何か仕事を依頼した場合、 それを引き受けてくれる人に対しては、それ相応の感謝の気持ちを持ち、敬意を払うべきではないかということです。 権利意識が強くなり、「仕事に対して報酬を払うのだから、 それに対して注文をつけるのは当然だろう」、という態度をとるのは間違いだろうと考えています。 お互いに敬意を払うことで、感謝する気持ちや信頼感が生まれ、いい仕事に結びつくのではないでしょうか。
私は、社会の治安を守ってくれる警察官に対して、このような状況になることを心配しています。 ヨーロッパの国々では、警察に対する信頼が低下していると聞きます。 日本では、警察官に対しては、まだ特別な感情を持って接していると思います。 これが、教師や医師と同じようになったら、日本の社会はどうなって行くのだろうかと心細くなります。
人は、それぞれ社会で役割を担っています。お互いにそれぞれの職業に対して敬意を払うということが、 住みよい社会を作る基本のような気がします。
第47号より