3月24日は歓送迎会でした。歓迎されるのは看護学生が3人、送別されるのが保健師養成学校へ進学する木村友美さんと看護師が2人でした。沢田内科医院では、看護学生が巣立って行くのは毎年ですが、長く勤務した看護師が退職するのは10年振りのことでした。それも、菊池千枝さんと小堀未希さんの二人が退職して新しい職場で働くことになりました。
左から、菊池千枝さん、小堀未希さん、木村友美さん
菊池さんは、開業した翌年からですので約20年前から勤務してくれました。長男は大学3年生、長女が高校3年生、3番目はまだ小学生ですが、本人も期するところがあり異動を決めたようです。愛知県で准看護師となり、弘前へ帰ってきました。通信教育で看護師国家試験受験資格を得て、働きながら看護師になりました。糖尿病療養指導士の試験にもパスしました。国家試験や療養指導士の試験を受けるために菊池さんが勉強するのを見ていると中学生のようでした。よく、英語を単語帳に書いて覚えますが、40歳を過ぎてから、この方法でいろいろ覚えていました。小さな開業医だけでなく、大きな病院で看護師として働いてみたいという希望があり、弘前脳卒中リハビリテーションセンターで働くことになりました。
小堀さんは予定通り、医師会看護専門学校の教員として移りました。平成18年に准看護学科の学生として沢田内科医院で働き始めました。平成23年3月に看護学科を卒業して看護師になり、ほとんどの学生が大きな病院へ就職したのですが、そのまま沢田内科医院で働くことにしました。看護専門学校の教員になることが第一の目標でしたが、沢田内科医院で働くことがもっとも将来の可能性が大きいと判断したからでした。
小堀さんが卒業した時に、医師会の看護学校が各種学校から専門学校となり、大学へ編入学できるようになりました。そこで、放送大学3年に編入学し、2年半で卒業しました。大学の勉強と並行して、看護学士の学位を得るために、糖尿病をテーマにして勉強していました。糖尿病患者さんの療養指導を行って経験を積み重ね、試験に合格して日本糖尿病療養指導士となりました。糖尿病に関する論文を完成させた後、認定試験にも合格し、大学評価・学位授与機構から看護学士を授与されました。この経緯については、キラリ輝く人として東奥日報で記事にしてくれました。
放送大学では看護教員資格に関する単位も取得しました。そして、3年前から非常勤講師として看護専門学校で講義を受け持っていました。この経緯は、「キラリ放送大学」として15分の番組が全国に放送されました。准看護師も含めて看護師としてのキャリアは10年になりましたので、この4月から看護教員として働くことになりました。医師会看護専門学校の卒業生ですので、看護学生の立場や気持ちがよく理解できる先生になることができると思っています。
歓送迎会は3月24日でした。私の誕生日が近いので、恒例となりましたが、ちょっと早い誕生日をお祝いしてもらいました。
今年は、ケーキだけでなく、お祝いに深い意味がある本ももらいました。
第105号より