若鷹・飛翔の集い」には多くの報道機関が取材に訪れた。1年生から3年生まで在校生は全員で 28 人であった。
3月13日、西目屋中学校の閉校式が行われました。西目屋村には中学校がなくなるわけですが、正式には西目屋村が弘前市に教育事務委託を行い、西目屋中学校の教育を東目屋中学校に委託するというものです。そこで、閉校式という暗い名前ではなく、「若鷹・飛翔の集い」という名称になったようです。
午前中に「若鷹・飛翔の集い」が行われ、午後に最後の卒業式が行われました。ご招待を受けましたので、自分の母校の最後の卒業式ですので出席してきました。
西目屋中学校最後の卒業式
西目屋中学校の最後の卒業生は12人でした。昭和43年3月に卒業した時は73人でした。そして、当時の西目屋村には砂小瀬中学校というもう一つの中学校があったのです。ですから、1学年が100人ほどいたということです。
私には3人の子どもがいます。大学院も計算に入れると、入学式と卒業式は全部で12回以上あったことになります。次男の高校の入学式は日曜日に行われましたので、出席したことがあります。次男が大学を卒業する時は、最後の卒業式でしたので、診療を他の人に頼んで出席しました。何と、入学式と卒業式に1回ずつしか出席したことがなかったのです。
卒業生とほぼ同じ数の先生たちと最後の顔合わせ
ニュースレター
第86号より
第86号より