写真を撮った後は、会場へ移動してパーティーの開始です。 この時点で開会の挨拶をした井上婦長、宴会担当部長の清野法子さん、澤田美紀子さんあたりが黒幕らしいことが分かりました。

直也とさやかさんの歌で始まり、吉田先生、木村先生、千葉智子さんからお祝いのお言葉をいただきました。 井上婦長のお兄さん手作りのクス玉も用意されていました。 そして、私の小さい頃、学生時代、これまでの思い出の写真で綴ったD V Dが上映されました。 全く私が知らないうちにたくさんの写真が集められていました。

D V Dの中では、八王子にいる甥と姪のハピーバースディの歌、私の両親のメッセージ、 高校からの友人で弘前市議会議員の佐藤哲さんと高校の恩師の内海康也先生からのメッセージがありました。 私には内緒で。次男の祐也は八戸市の青森労災病院に勤めているのですが、休みが取れずに参加できなかったようです。 でも、D V Dにメッセージがありました。

パーティーの途中で結婚式でもないのにお色直しとして着替えをさせられました。
娘の愛にエスコートされ会場を出ると、そこにはTシャツがありまし た。Tシャツです。何と、胸にはブタの顔、背中には「気合」という2字が印刷されていました。 この文字は、相馬のんきさんに書いてもらったことがすぐに分かりました。 「のんきさんも知ってたのか!!」という気分でした。

赤いちゃんちゃんこをブタのTシャツに着替えて再入場です。誕生日のケーキも用意されていました。
34年振りのケーキ入刀でした。娘の愛が、挨拶代わりにD V Dを作ってお祝いしてくれました。 後でD V Dをもらったのですが、そのファイル名は『マル秘企画』でした。 職員からは花束や私の家族の似顔絵の額などをもらいました。

主賓の挨拶と言われても、気の利いた内容を用意していませんでした。 しかし、これを準備してくれたみんなに対しての感謝、これまで私に協力してくれたことへの感謝、 沢田内科医院の経営の基本に流れている精神、これからのことなどを話しました。

みんなが背中に「気合」と書かれたTシャツを着ていた。

ご馳走を食べたり、写真を撮ったり、みんなで歌を歌ったり、4時間近くの楽しい時間はあっという間に過ぎました。

この還暦祝賀パーティーには3ヶ月に及ぶ準備期間を要したようです。 ドッキリカメラというテレビ番組がありましたが、今回の企画はそれ以上のものでした。私にはそのような動きがほとんど分かりませんでした。 職員だけでなく、私の家族や友だち、恩師の先生方、関係する人たちがみんな協力して私に悟られないようにしたようです。 ほんとにびっくりでした。

タツだというが私には馬にしか見えない。

このパーティーの全容はほぼ分かりましたが、ただ一つ疑問がありました。後で聞いてみました。 「あのケーキに馬が描かれていたけど、何で馬が2頭なんだ?」と。井上婦長の答えは、「あれは、タツなんです」と。 私は辰年です。そうして見れば、馬のたてがみではなくて角のようです。今でもあれがタツだとは思えません。

この還暦祝賀パーティーで嬉しかったことの一つが私がいつも言っているキーワードが使われていたことです。 『天下の賢』、『気合』、『常に考える』です。
医院に通院する患者さんたちを診る時に根底に流れている精神をみんなで共有できていることを確認できた還暦のパーティーでした。