ゴールデンウイークの真ん中、5月4日は天候に恵まれ、久しぶりに市内の散歩に出掛けました。 運動らしい運動をほとんどしていないため、足に疲れがきてしまいました。 今回の散歩は、『誰人天下賢』を求めるという目的があり、昨年12月に決めていたことでした。 たまたま、長女が休暇で帰ってきていましたので、二人で出かけました。
鏡ヶ丘記念館
まず、私が住む町内にある弘前高校へ向かいました。 旧制弘前中学校の校舎である鏡ヶ丘記念館が公開されていると新聞に出ていましたので、 久し振りに母校を訪ねてみました。 弘前高校へ行くのは、鏡ヶ丘記念館を見るのが主目的ではなく、第1体育館に掲げてある額を見て、 写真に収めるのが目的でした。 その額には、『誰人天下賢』と書かれているはずです。
鏡ヶ丘記念館は、私は1回しか中に入ったことがありませんでしたが、 浪人生の予備校として長い間使用されていました。 今回は、旧制中学時代からの弘前高校の歴史を示すもの、卒業生や職員の書や絵画などが展示されていました。 高校を卒業して35年経ちますので、懐かしい写真もありました。
ここでわが家ゆかりの物を見つけました。弘前高校の文化祭である弘高祭では、手拭を配ります。 記念館の中で、私の長男、直也が書いた手拭を見つけました。 創立113年目の弘高祭の手拭で、ねぷたを描いたものでした。 これで、鏡ヶ丘にわが家に関連するものがひとつ保存されたことになりました。 早速、記念写真を撮りました。
「直也」と署名が入っている手拭を持っているのが、私の長女、愛です。
鏡ヶ丘記念館の展示物の中に、今回目的とした扁額『誰人天下賢』の基になる書を見つけてしまいました。 ここにもあったのかとびっくりしましたが、「守拙」と署名がありましたので、 求めていたものとは違うことが分かりました。 写真は、その詩ですが、私が高校時代に書道の教師だった石倉守拙(本名は金庫)先生が書いたものでした。 この書はこれまで見たことがありませんでした。
ちなみに、私は芸術科目として天気のいい日は写生で外に出られる美術を選びましたので、 石倉守拙先生の指導は受けていません。 美術は鳴海健次郎先生で、記念館には『駿馬』など、数点の作品が展示されていました。 天気のいい日に絵具も画用紙も持たずに草むらで寝ていると、鳴海先生が、 「おお、構想練ってらが・・・」と近寄ってきて、一緒に坐って話しをしたものでした。
記念館の受付には、娘が弘高時代にお世話になった先生がいましたので話をして、いよいよ第1体育館です。 女子バレーの試合の最中でしたが、コソコソと2階のギャラリーへ上がって行きました。 そこには、懐かしい扁額が飾られていました。私が高校1年の時に掲げられたものです。 右から左へ、『誰人天下賢』と書かれています。早速、写真に収めました。写真の白い点は、照明の反射です。
第33号より