誰がアンパンマンでしょうか?

「やなせたかし」さんが亡くなった。アンパンマンの生みの親である。

沢田内科医院の診察室の窓際には大きなアンパンマンが座っている。子どもたちはアンパンマンが好きである。 受診する子どもたちに楽しんでもらおうとアンパンマンを連れてきた。

このアンパンマンは、五所川原のエルムの街にいた。 店の天井近くの棚に座っていたアンパンマンは、まるで「僕を連れてってくれ!」とでも言っているようだった。 アンパンマンが好きな子どもたちがたくさん受診していたので、沢田内科医院の診察室に住まわせることにし、弘前へ連れてきた。 10年ほど前のことだったと思う。

その後、平成18年、高校を卒業したばかりの新人が私たちの仲間に加わった。丸顔のその新人のイメージはアンパンマンに似ていた。 私の医院にアンパンマンが住みつき、アンパンマンと名づけた職員がいたことから、特にアンパンマンに興味を持った。 そして、「やなせたかし」という漫画家を知った。

やなせたかしは、5歳で父親と死別した。その後、母親が再婚し弟と一緒に高知県の伯父のもとで育てられた。 京都大学へ進んだたった一人の弟は戦争で失った。孤独な生い立ちと飢えに苦しんだ戦争体験からアンパンマンは誕生した。

私はアンパンマンをただの子どものマスコットだと思っていた。しかし、そうではなかった。非常に強いメッセージを持っていることが分かった。 テーマソングである「アンパンマンのマーチ」には、最初から最後まで子どもには不似合いな歌詞が並んでいる。 「何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなの嫌だ」。とても子ども向けの歌詞ではない。

やなせたかしは、戦争体験から「行軍したり、泥だらけになってはい回ったりするのは、一晩寝ればなんとかなる。 ところが、飢えはどうしても我慢できない。」という。 アンパンマンは飢えている人に自分の顔を食べさせるのだが、顔を食べさせるのは残酷だと批判があったようだ。 しかし、戦争で負けると、勝者の論理で正義が突然逆転してしまうということを実感したやなせたかしは、 困っている人、飢えている人に食べ物を差し出すことは、立場が変わっても国が違っても「正しいこと」には変わりのない絶対的な正義だと悟った。

「一寸先は闇だ。しかし、その先には光がある」、「絶望のとなりには希望がある」、「生きていることが大切なんです。 今日まで生きてこられたなら、少しくらいつらくても明日もまた生きられる。そうやっているうちに次が開けてくるのです」。 これらはやなせたかしの本の中にある言葉です。平成24年、弘前市では39人の自殺者(最近は、自死という言葉が使われる)がいました。 とにかく生きよう、生きていれば光が見えてくる、希望が見えてくる、こんなメッセージを発し続けたのではないかと思います。