「今年は、サンタに何をお願いした?」と小学校3年生の娘に聞いたら、「秘密!」。クリスマスプレゼントを何にすればいいのか分からないので、手を変え品を変え聞き出そうとしますが、頑として教えてくれません。私は困ってしまいました。毎年、クリスマスの時期になると、この情景を思い出します。今年も悩んでいる親がいるのかなぁと想像すると、ほのぼのとしたちょっと幸せな気分になります。
あと2,3年もすると30歳になる私の娘が小学校3年生の時の話です。クリスマスイブの昼前、腕をまくり、エプロンをして一生懸命クッキーを作っていた。毎年、プレゼントを持ってきてくれるサンタクロースにお返しをするためにクッキーを作っているのだそうです。その夜は、長い大きな靴下を下げ、枕元にクッキーを置いて眠っていた。その上、サンタクロース宛に、プレゼントに対するお礼としてクッキーを作ったという内容の手紙まで書いていた。
私は、眠ったのを見計らって、やっと聞きだしたプレゼントを雪に覆われた車のトランクから持ってきて子どもたちの部屋へ置いた。そして、サンタクロースからの手紙を左手で書いた。朝早く起きた娘は、思いがけないサンタクロースからの返事に驚いていた。しかし、疑問なことが湧いてきていたらしい。「サンタクロースの字は、なんかパパの字に似てる・・・・??」、「サンタクロースは日本語が分かるのかなぁ・・・・?」。いろいろな疑問を口にしていた。その脇では、「プレゼント、イトーヨーカドーの紙で包んでる。青森で買ったのかなぁ・・・・?」と、弟が説明に困ることを言い出した。兄は、「バラすとプレゼントが貰えなくなるから・・・・」と黙っていた。
プレゼントを全部持ってくるわけにはいかないので、地元で買うのだなどと、その場は何とか乗り切った。クッキーは家の中に置くわけにはいかず、病院へ持って行って机の引き出しに入れておいて何日もかけて食べた。その後、サンタクロースについて話したのかどうか記憶は定かでなく、6年生までは入ってくれると言っていたお風呂にも一緒に入らなくなった。その時にどう思っていたのかは確認していない。
サンタはいる
日本のクリスマスは、非キリスト者による商業主義の産物だとも言われます。しかし、それでもいいではないかと思います。何とも言えない夢のあることだからです。先日、朝日新聞を読んでいて、『「サンタはいる」と答えた新聞』という記事が目に入りました。「サンタはいる」という物語を知っている人もいると思いますが、ニューヨーク・サン紙の有名な社説に関する記事でした。
1897年9月、友だちにサンタはいないと言われた8歳の女の子がニューヨーク・サン紙に、「サンタはいるのでしょうか。」と手紙を書いた。それに対して、新聞社の編集局は本物の社説で答えた。「サンタはいるよ。愛や思いやりの心があるようにちゃんといる。」、「サンタがいなかったら、子どもらしい心も、詩を楽しむ心も、人を好きになる心もなくなってしまう。」、「真実は子どもにも大人の目にも見えないものなんだよ。」と。
少女の名前は、バージニア・オハンロン。当時8歳の女の子がこの記事の内容を理解できたのかは分かりませんが、後に教師になり、恵まれない子どもたちの救済に尽くしたという。バージニアが1971年に81歳で亡くなった時、ニューヨークタイムスは、『サンタの友だち、バージニア』という見出しで、「アメリカのジャーナリズムにおいて、最も有名な社説が書かれるきっかけとなった、かつての少女」という記事を第1面に掲載してその死を悼んだといいます。
1897年というと明治30年です。1894年が日清戦争ですから、日本は物質的にもまだまだ貧しかった時代に、アメリカではこのような記事が書かれて受け入れられていたことに驚きです。むしろ112年経った現在こそ必要な記事のような気がします。最近は、新聞を開けば殺人事件と経済不況の話ばかりです。ほっとするような新聞記事を読みたいものです。
真実を見ることができるのは、信じる心、詩を楽しむ心、愛、人を好きになる心です。これらが存在する世の中にはサンタクロースがいます。子どもたちの心の中にはサンタクロースがいます。そして、それを育てている大人たちの心の中にも。目に見える説明責任を求め、損得勘定が優先する現在の世の中では、サンタクロースはいなくなりそうです。サンタクロースがずっといる世の中であって欲しいものです。
Is There a Santa Claus? (サンタはいるの?)
きしゃさま:
わたしは8才です。わたしの友だちに、「サンタクロースなんていないんだ。」といっている子がいます。 パパは、「サンのひとがサンタクロースがいるというなら、たしかにいるんだろう」と、いいます。ほんとうのことをおしえてください; サンタクロースって、いるんですか?
ニューヨーク・サン紙の社説:
バージニア、それは友だちの方が間違っているよ。その子たちは何でも疑いたがる年ごろで、目に見えるものしか信じられないんだ。その子たちは、自分で分かることしか存在しないと思っているのです。でも大人でも子どもでも、ぜんぶ分かるわけじゃない。人間の知恵なんてこの広い宇宙では一匹の虫、小さなアリのようなものなんだ。
そうです、バージニア。サンタクロースはいるのです。目には見えないけど愛や人への思いやりや真心があるようにサンタクロースもいるんです。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまうよ。それはこの世にバージニアがいなくなってしまうのと同じくらいさみしくなってしまうことなんだよ。サンタクロースがいない世の中では、私たちが味わうよろこびは、手でさわるもの、ただ目に見えるものだけになってしまいます。
サンタクロースを見た人なんていません。でも、それはサンタクロースがいないっていうことにはならないんだよ。この世の中で一番たしかなこと、それは子どもの目にも大人の目にも見えないものなんだから。
世の中には、目に見えない世界をおおいかくしているベールがあるんだ。それは、どんなに強い人が束になってかかっても引きちぎることができないカーテンみたいなものなんだ。そして、信じる心、詩を楽しむ心、愛、人を好きになることだけがそのカーテンを開けて、向こうにある例えようもなく美しく輝かしいものを見ることができるのです。
サンタクロースはいないって? いいや、ずっと、いつまでもいるんです。そして千年も、百万年の後になっても、サンタクロースは子どもたちの心をわくわくさせてくれると思うよ。
(スペースの関係から、原文の一部を省略して訳しています)
第55号より