私は弘前大学消化器血液内科で医師としての指導を受けました。その時の指導教授が、元弘前大学学長の吉田豊先生です。たくさんの先輩から指導を受けましたが、河村節子先生は元医療短大教授で白血病治療の指導を受けました。長く弘大病院輸血部に勤務した木村あさの先生からは、血友病など出血性疾患の指導を受けました。他に、市内で開業する相原守夫先生にもお世話になりました。

私の高校時代からの友人が経営する、城東のアメージング・フォーで 
左から私、木村あさの先生、河村節子先生、吉田豊先生

先日、吉田先生のご家族がアメリカへ出かけ、寂しい夕食を摂っているのでと、食事会を開くことになりました。吉田先生は今年米寿で、私を含めた4人の平均年齢は78歳でした。世の中では、もう悠々自適の年齢ですが、それぞれ忙しい生活をしていて、スケジュールを合わせての会合でした。

大学に勤務していると定年は65歳なのですが、3人とも定年を過ぎてからの方が忙しい仕事をしている状態で、昔話に花が咲くというより、今の仕事や生活の話が多く、みんな活動的だなぁという印象でした。

木村先生には、私が出掛ける時に留守番を頼んでいます。沢田内科医院で診察を受けた患者さんが「おばあちゃん先生」と呼んでいる人です。河村先生は、三沢市立病院に非常勤で勤めているのですが、何と、定年退職してから人間ドック学会の専門医を取得しています。若い頃とちっとも変わっていません。今度、弘前から出身地の仙台市に移ることになりましたので、ミニ送別会となりました。

吉田先生は、ひとりで寂しい夕食を摂っているということでしたが、寂しさなんて感じられなくて、元気そのものでした。この場に、私の第一の恩師である千葉陽一先生がいればもっと楽しかったのにと思いました。千葉先生からは医師としての心構えを教えて貰ったことはもちろん、学会や研究会、血友病友の会などに一緒にでかけ、たくさんの思い出があります。平成18年に病気で亡くなり、この食事会には出席できませんでした。