先日、大谷和子さんから、小田桐校長の著書を3冊頂きました。その1冊が、小田桐校長が藤崎町教育長をしていた時に「広報藤咲」に連載したエッセーを編集して、「随心ノート」という題名で遺稿集として発行された本です。これまで長谷川正人さんから借りて読んだことがあるのですが、改めて読んでみると小田桐校長の理解がまた深まりました。大谷さんのお父さん大谷清蔵さんは講談社少年倶楽部の編集者、小田桐校長は文芸春秋の編集者として、同じ年代で同郷の者として交友があったのだそうです。お父さんは、小田桐校長の葬式で友人代表として弔詞を読んでいます。
小田桐校長が文芸春秋に在籍していた頃の社長は菊池寛で、大谷さんの編集主幹は加藤謙一だったそうです。菊池寛は文芸春秋を創設した実業家で作家であることは有名です。加藤謙一は弘前市出身の編集者で、小田桐校長の話によく出てきていましたので覚えています。
大谷和子さんは私が弘前市立病院に勤務していた時に内科外来の看護師をしていました。大谷さんも、「お父さんの本ですが、私が持ってるよりも、先生が持っていた方が価値があるから」ということで持ってきてくれました。「草沢の心」と「鶏肋抄」も一緒で、これらの本も何の遠慮もなく頂きました。ありがとうございました。「草沢の心」には、友人の大谷清蔵さんのための小田桐校長の署名が入っていました。
昭和39年、弘前実業高校の校長時代に出版した「石の言葉」にも名前だけですが署名がありました。ただ残念なのは、この「石の言葉」も頂いたものなのですが、誰から頂いたのか思い出せないことです。もしも、これを読んでましたら、どうか名乗り出て下さい。お願いします。
私の高校時代に小田桐校長が校長講話と題して話をした内容が書かれている「鶏肋抄」はこれで5冊になりました。青森市の古本屋にあったものとアマゾンマーケットプレイスに出ていたものをこれまで3冊買いました。とても、古本屋の奥に他の本と一緒に置いて欲しくないのです。
「鶏肋抄」の中に鶏肋の意味が書かれています。鶏のあばら骨は食うほどの肉はないが、棄ててしまうには惜しい気がするものである。他人の目には一顧にも値せぬ代物なのに、当人の身になってみれば棄て去るにはなにか惜しい。
第112号より