今年のゴールデンウイークは、青森県立美術館で開催されていた『工藤甲人展』を見てきました。4,5年前に青森市松木屋デパートで一度作品展を見たことがありますが、今回は美術館の学芸員による解説があるということでしたので、さらに深く味わえるかと期待して行きました。良い天気に恵まれ、展覧会も終わりに近いためか、たくさんの人たちが訪れていました。
工藤甲人さんは91歳、弘前市名誉市民で平塚市に住む日本画家です。蝶、鳥、木、枯葉、人、などが仲良く散りばめられている絵が特徴的です。私は絵のことはよく分かりませんが、ひっくり返った蝶、無重力状態にいるような動物の群れ、薄気味悪い樹海に生える手のような木、よく見ると人が描かれている岩、甲人さんはこの世のものとは思えない幻想的な世界を描く画家なんだなぁと思っていました。 しかし、今回の展覧会を見終わって、これまでは断片的にしか見ていなかったこと、それぞれに意味があり強いストーリーがあることを感じました。
今回の展覧会では、時代順に76点の作品が展示されていました。学芸員の説明を聞いて、再び作品を見直してみると、甲人さんが訴えかけていることが分かります。そして、これほどメッセージがはっきり分かる画家の展覧会は見たことがありません。私には、飛び出そう飛び出そうと苦悩する人生が91年も続いていたのかと思うと、辛さしかなかったのかなという気がしました。厳しい冬に閉じ込められる弘前から太陽がギラギラする湘南に移り住んだことが、こんな幻想的な絵を描き続けていることと関連があるのだろうか。いろいろ疑問が湧いてきました。
工藤甲人さんは大正4年に弘前市百田に生まれました。子どもの頃は、無口で内気な性格で、外で走り回って友だちと遊ぶよりも、敷居の溝や畳の目を見ていろいろなことを想像し物語を考えることが好きだったと言います。子どもの頃は図画はむしろ苦手な科目で、手書きの雑誌を作ったりした文学少年だったようです。動機ははっきりしませんが、甲人さんは昭和9年(19歳)に上京して画家としての歩みを始めます。
甲人さんは川端画学校で正式に日本画を学び始めます。生活のために肉体労働をしたり、友禅屋などで働きます。人生に無駄なことはないと言いますが、友禅の下書きの仕事で、花、鳥、静物などの物の形を的確に捉える技術を身につけたのだそうです。 この時期にも美術展で何回か入賞していますが、終戦後、弘前に戻っていた甲人さんは友人が次々と活躍するさまを見て自信をなくしていきます。
絵仲間と入った弘前の喫茶店で雑誌ライフに載っていた実に奇抜な絵をたまたま目にします。この絵に非常に感動したといいます。この絵のアイデアが、昭和26年の『愉しき仲間』(36歳、写真1)となって現れます。動物と人間が自然な形で仲良く交わっている構図は、蝶や鳥が何でこんな所に描かれているのだろうと私が長く疑問に思っていた甲人さんの絵の基本となっています。
昭和28年の『狐婚』(38歳、写真2)は、月夜の狐の嫁入りをテーマに童話的な世界を描き出しています。その後、厳しい冬に耐える『冬の樹木』(42歳、写真3)では、喜びや悲しみを表現するために、木の枝振りや切り口に表情をつけています。特に、『いばらの樹』(43歳、写真4)は、土の中から這い出ようとする木を描いた作品で見ごたえがあります。弘前という地中から這い上がろうとする甲人さんの苦悩が分かる作品です。雪を連想させる岩、土から這い出ようとするがんじがらめの木々、雪や土に埋もれる枯葉、これらも甲人さん自身でしょう。
そして、昭和37年、47歳で弘前から神奈川県平塚市に転居しています。この頃の作品は「枯葉シリーズ」といわれ、『地の手と目』(50歳、写真5)では、立ち木は何かをつかむように枝を伸ばし、切り口は何かを見つめ、枯葉もうごめいています。何か幻想的な絵です。
甲人さんの絵には蝶がしばしば登場します。これは、春の兆しの象徴だといいますが、成虫のまま羽が破れながら春を待つ蝶、『蝶の階段』(52歳、写真6)に描かれた這い上がってもまた落ちてくる蝶など、どの蝶も苦悩に満ちた表情をして幻想的な絵の中に描かれています。『休息』(60歳、写真7)は、雪の中に埋もれる枯葉、木に止まる蝶、じっと春を待つ弘前の冬を連想させる絵です。
今回の展覧会の副題は『夢と覚醒のはざまに』です。『夢と覚醒』(56歳、写真8)は展覧会の副題にしていますので、甲人さんの芸術観を象徴的に表している作品でしょう。 木の洞から顔をのぞかせ、目を見開いている女性(覚醒)、上に横たわり、目を閉じ静かにまどろんでいる女性(夢)。「夢と覚醒」、「光と闇」、「顕在と潜在」・・・。この間の空間に真実があるのだと言います。この二つの相対する世界を和やかに合体させる機微を探り当てることが甲人さんの絵画道であり、思想でもあると語っています。
1970年代から80年代は55歳から75歳と画家としてもっとも充実した時期だったのでしょう。展示されていた作品の中で、色彩的にも心理的にも最も明るかったのが、『霧』(62歳、写真9)でした。この絵だけは、天女に見守られながら蝶が愉しそうに飛んでいます。『風歴』(64歳、写真10)は、洞窟の中に蝶が枯葉と閉じ込められ、少年が眠る上を一匹の蝶が太陽に向かって飛んでいます。基本的に風景画ですが幻想的な画風が続いています。
1990年代の作品11点のうち、10点は女性が描かれています。『樹難の森へ』(84歳、写真11)は、目がある木の株、表情のある木、とげとげしい葉にまとわりつかれた木、これらに囲まれた闇に向かって6人の修道女が歩いています。一人だけがこちらを向いています。何を表現しようとしているのか私には分かりませんでした。
甲人さんの絵は、ぼかしを入れることで幻想的になっています。日本画では水を使ってぼかすのだそうですが、その方法では厚みが出ないため、甲人さんは顔の細い線を描く時に使う絵筆で「ぼかしを描く」のだそうです。甲人さんは非常に手間がかかるぼかしを描いているのです。ぼかしをうまく使って、幻想的な、夢と現実の間を表し続けているのです。
青森放送で作ったインタビュービデオが展覧会で上映されていました。湘南の地へ移って43年になる甲人さんは、津軽弁のアクセントで話していました。これを聞いて、やはり、作品には弘前の冬が強く影響しているのだと確信しました。展覧会の解説書には、『心の中の美しい自然を、なるべく素直に忠実に表現しているつもりであるが、そういう自然が現実にはない。現実の自然は人為的に破壊され、もはやこの世に自然というものは現実には存在しない。だから、本当に無垢な自然を表現するとなると、どうしても超自然的とならざるを得ない。』という甲人さんの言葉が引用されていました。人も蝶も木も、なにもかも調和して存在するのが自然なのでしょう。
昨年、私の友人の工藤浩一先生が校長をしている城東小学校を訪ねた時に、甲人さんの色紙を見せてもらいました。甲人さんは城東小学校の学区内の弘前市百田出身ですので、小学校の創立記念日に色紙を寄せていました。その色紙には、『蝸牛遅々望千里』と書かれていました。かたつむりの歩みは遅々として進まないように見えるが、しかし、確実に進んでいる。そして、その歩みはずっと先を見据えた歩みなのだと解釈しました。平塚へ移って本格的な画家を目指したのが47歳、甲人さんの作品だとひと目で分かるのは、60歳を過ぎてからの作品です。現在91歳ですが、遅々として人生を歩ゆむかたつむりは、このように完成された人生を見据えていたのだろうか。
甲人さんの作品の中には、かたつむりが描かれたものが何点かありました。しかし、蝶が圧倒的に多い。それも地中にいて春を待つ成虫の蝶です。弘前の厳しい冬をずっと待つ心境がいつまでもあるのだろうと思います。ほとんどが大きな絵ですが、ニュースレターでその迫力を伝えられないのが残念です。ふるさと青森・津軽は甲人さんにとってどんな存在ですかと聞かれ、『青森・津軽は自分の心に根付いた、忘れることのできない「風土」であります。』と答えています。展覧会が再び開かれれば、ぜひもう一度見たいものです。
第39号より