この4月からの医療制度の変更で、現場の医療を知らない人たちだけで制度を作っているということがはっきり分かりました。病院で患者さんを診察したり検査、治療をするとそれにともなって医療費が発生します。その医療費は、診療報酬といわれ、それぞれの医療行為に対して決められています。「精一杯勉強して、今日は500円に負けときます!!」などとは行きません。
今回は、「後期高齢者終末期医療相談支援料」という医療行為が新設されました。終末期の患者さんに対して、余命を含めた予後を説明し、急変した時にはどのようにするか、延命治療を希望するのか、など具体的な治療方針を話し合い、これらを文書にすると医療費が支払われるというものです。終末期医療が診療報酬面でも認められるようになったこと自体は歓迎すべきことだと私は思います。しかし、問題はその内容です。
「私の診るところ、あなたは、あと半年位しか生きられないと思います。もし、急に具合が悪くなった時は、大きな病院へ転院することを希望しますか?ここでこのまま治療を続けますか?食べられなくなった場合は、点滴だけにしますか、鼻から管を入れて栄養を送り込むようにしますか?呼吸が止まった時は、人工呼吸器を使って呼吸できるようにしますか?」などということを確認し、文書にすると診療報酬が払われるということです。時間のしばりもあり、少なくとも1時間の相談支援をすることが条件です。そして、これに対しての医療費は2,000円です。
これに対して、「高齢者は早く死ねということか」などという批判があります。私が医療現場を知らない人たちがこのような制度を作ったと判断したのは、このような批判が正しいと思ったからではありません。実際の看取りの医療現場では日常的に、それも継続的に行われていることに対して、1時間のまとまった説明をした上で文書として残すことを条件に「相談支援料」として値段をつけたことです。
がんの末期や高齢者の終末期の医療では、人生の最期をどのような形で迎えるのかは非常に大事なことです。患者さん個人の人生観や考え方は千差万別で、それを簡単に「相談支援」して文書にまとめることは容易なことではありません。繰り返して行われる外来の診察や、毎日の回診でお互いの関係が築かれていきます。ある特定の1時間を終末期医療相談とするのは、現実の医療現場には馴染みません。
死期について、直接患者さんと話すのは医師にとってはつらいものです。そして、患者さんが亡くなる時期を予想するのは難しいものです。「3ヶ月しか持たないと言われたが、6ヶ月も持った」などという人がいますが、私にはとても死期を正確に言うことはできません。私が医師になって30年が過ぎました。多分、死亡診断書を書いた数は、医師の中でも多い方だと思います。しかし、今でも予期せずに夜中に起こされ、患者さんが亡くなることがしばしばです。
第46号より