パソコンのメールをチェックしていると、転院した患者さんの奥さんからのメールがありました。

川村純子です。
突然の救急車やら酸素吸入で、初めは何でこんなに騒いでいるのだろうと思ったようです。
中央病院に着いた時は不安でたまらなかったそうです。
その時、救急車に同乗してくれた看護婦さんがずっと足首をさすってくれたそうです。
『大丈夫よ』、と声をかけられているようで、すごく勇気づけられたそうです。
人の手ってすごい力を持っているんだなあ。
わたしも照れていないで触るだけの介護でいいのなら実行しようと思ってます。
今はベッドに座って一人でご飯を食べています。
先生どうもありがとうございました。
看護婦さんその他の皆さんどうもありがとうございました。



同乗した看護婦は、井上真利子さんでした。

『手当て』という言葉がありますが、人の手を当てると、何かホルモンのようなものが出て、 痛みを軽くする働きがあるのでしょう。人の体の中には、受容体というものがあります。 薬やホルモンがただ体の中を流れていても、それを受け取る受容体がなければ働きません。 これと同じことが『手当て』にも当てはまると私は思っています。 つまり、看護している人が心をこめてさすっている、そして患者さんは看護している人を信じている。 このような状況で、人の手を人の体に当てると体の中にホルモンや化学物質が出てきて、 患者さんの痛みが軽くなるのだと思っています。お腹が痛い子どもをお母さんがさすってやると痛みは軽くなります。 この場合も、知らない怖そうなおじさんが手を当てたらどうでしょうか。 怖そうなおじさんはほんとは心やさしい人でも、子どもが怖いと感じると受容体が働かないために、 『手当て』をしても痛みは軽くはなりません。

内視鏡検査は苦しい検査の一つだと言われています。内視鏡を胃の中に入れている間に、 介助する看護婦が患者さんの背中をさすっていると、楽に検査を終えることができます。 これは婦長が始めたものです。特に意識的に始めたわけではなく、苦しがっている患者さんを見ていて、 自然に出てきた行動のようです。検査を終わったとたんに、『看護婦さんに背中をさすってもらって、ほんとに楽だった』と 言う患者さんが少なくありません。これも、『手当て』と同じことのようです。

最近の世の中は、人の体に触れると「セクハラ」だ、などと騒ぎ出します。 しかし、幸いなことに私たち医療従事者は、人の体に触れることを許されている恵まれた職業についています。 そして、薬も使わずにただ人の体に触れることで、その人の痛みを和らげてやることができるのです。 『手当て』って、すばらしいことですね。でも、そこには、心のつながりがあってのことです。