「じいちゃん、みおがかわいいからさわるの?」。眠そうにしている2歳半の孫を眠らせようと添い寝をして体をさすっていた時のことでした。「食べる時はすわって食べること!」とママに言われた孫は私のあぐらの上にちょこんとお座りをしておやつを食べました。コロナウイルス感染症の対策として、マスクをしてソーシャルディスタンスを保って過ごしましょうと言われる中、孫と密に接しながら考えさせられます。
人は生物学的には他の生き物とそれほど大きくは変わりません。人が他の生き物と違うのは、その社会性にあるのだと思います。「人間」の詳しい語源のことは分かりませんが、社会性が大事だから人間と表現するのだと思っています。社会性、人と人との間にコミュニケーションを持つことが他の生き物と違うので人を表す言葉として「人間」が使われているのではないかと。
もちろん動物だけでなく植物でさえ、種として生き延びるためには群れを成して生活していますので、人以外でも社会生活をしていることになります。しかし、コミュニケーションがこれほど大きな役割をしているのは人以外にはないでしょう。
人は意思を伝えるために、言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーションの二つの方法を使っています。同じ「はい」という言葉でも、文字で書かれると区別はつきませんが、聞こえる言葉で「はい」と言われても、実は「いいえ」のことがあるのはよく経験することです。
外来で患者さんを診察していても同じようなことがあります。話の内容から判断するとそれほど異常を感じないが、診察している時の雰囲気や顔つきから、「何かいつもと違う・・・・」と感ずることがあります。そして詳しく調べると脳梗塞があったということが少なくありません。病院での感染を防ぐためにオンライン診療という受診方法がありますが、臨床医としてはとても始める気にはなりません。
コンビニでは透明な隔壁、マスクで顔を隠し、人との距離を確保し、ましてや体を接することは極力避ける。コロナウイルス感染症に対する現在の対策としては正しいかもしれませんが、人間として生き延びるためのこれからも続く新しい生活様式だとは思いません。ましてや、表情をともなわない記号としての言葉だけのコミュニケーションだけでは人間の社会生活は成り立ちません。
ネットやスマホが発達して人とのやり取りが前よりも多くなっています。そして、書き言葉だけで意思を伝えることが難しいことは誰もが分かっています。文章の終わりにいわゆる絵文字が頻繁に使われているのはこのためです。意思が十分に伝わらない上に、ネットという自分を隠した匿名性の高い状況では、誹謗中傷が頻繁に起こることは当然のことでしょう。実際に会って話をすれば分かり合えることがたくさんあります。
新型コロナウイルス感染症が消えてなくなることはないでしょう。感染を繰り返したりワクチンを接種することで人は次第に抵抗力を獲得することでしょう。そしてこのウイルスもインフルエンザや普通の風邪のように人の中で生きて行くようになるのでしょう。マスクをつけることもなく顔の表情が見え、人との間に距離を取ることもない生活ができる世の中で暮らせることを期待しています。
第119号より