曽我篤さん(旧姓佐藤)は私の従姉の長男です。文画師という芸術家です。文画師という言葉は私も初めて知りましたが、手書きの文章で絵を描くのです。この手法を使い、広告デザインや紋章の作成をしています。日本語だけでなく、英語、ロシア語などさまざまな言語でその国の偉人や有名人の肖像画を描き、仕事だけでなく個展など各種イベントに参加しています。コロナウイルスに振り回されている1月に西目屋村に帰ってきた時に私のところに寄ってくれました。

まず、文画です。日本語でも英語でも文章を書いて絵を描くのです。実物を見ればすぐに分かります。貰ってすぐに診察室の机の上に置いて写真を3枚撮りました。遠くから見ると、私には見覚えがある緒方洪庵の肖像画として見えます(写真1)。それにスマホを近づけると何か文字が見えてきます(写真2)。そして3枚目は文章の内容が分かりますが、絵として何が描かれているのかが分からなくなってきます(写真3)。

目を近づけてみると、絵で黒くなっている部分は文字が太く書かれています。もちろん日本語の文章ですのでひらがなと漢字が混ざっています。ひらがなを書く時と画数の多い漢字を書く時には濃淡をつけるのがきっと難しいのだと思います。篤さんの話では、アルファベットの方が描きやすいとのことでした。

緒方洪庵は江戸末期の医師です。ドイツの医師フーフェランドが1836年に著した医学書を全30巻として和訳しました。その最後の部分が「扶氏医戒之略(医戒)」として12項目が訳されています。

第1条には、「医師は人のために存在しているのであって、自分のために生活するべきでない、名声や利益を顧みることなく、ただ自分を捨てて人を救うべきである」と書かれています。

第2条以降には、「常に謙虚に診察すべき」、「医療費はできるだけ少なくすべき」、「他の医師を批判してはならない」、「詭弁や珍奇な説で世間に名を売るような行為は医師として最も恥ずかしいこと」などが書かれています。また、患者の秘密や最も恥ずかしいことすら聞かなければならないこともあり、医師は篤実温厚で多言せずに沈黙を守らなければならない」、と守秘義務についても書かれています。現在の社会状況には合わない部分もありますが、ほぼ現代でも通用する医師を戒めることが書かれています。約200年前のことですから驚かされます。

曽我篤さんと弟の佐藤真吾さん

篤さんの緒方洪庵の文画には、この「医戒」の内容が約1300文字で書かれているのです。ネットで「Studio Gani」で検索して見てください。いろいろな作品を見ることができます。こんな活動をしているのに、故郷の西目屋村や弘前ではあまり知られていません。まず、西目屋村役場か公民館で作品を展示してもらおうと思っています。