8月のお盆に千葉から友人が来た。久しぶりに高校時代の仲間4人で食事会。私はほとんど飲めないのでウーロン茶で。定年退職後の再任用も終わり、私を除いてみんな現職を引退している。高校時代の思い出話、最近のことなどいろいろな話をして楽しい時間を過ごした。

午後9時前だったが、そのうちに一人の友人がそろそろ寝る時間だと言い始めた。朝早く起きて散歩をするのが日課らしい。鶏よりも早く起きている高齢の患者さんがたくさんいるが、私の年齢でもそうなんだと改めて知らされた。ちなみに、この友人も私の医院に通院している。

残り3人で二次会となったが、私が飲めないのでコーヒーでも飲みに行こうということになった。9時過ぎに飲み屋以外で開いている店はまずないだろうけど、まず鍛冶町へ行こうということで歩き始めた。

土手町から鍛冶町へ抜ける「かくみ小路」と呼ばれる細い道がある。その昔、「角み呉服店」という呉服店があったことが、その名前の由来らしい。そこへ話をしながら歩いて行った。時間は遅いが、もしかして「万茶ん」が開いているかもと。でも、やはり万茶んは開いていなかった。

さらに鍛冶町方面へ歩いて行くと、右手に「SUGA」の看板があった。若い頃に来たことがあるジャズ喫茶だ。すぐに入ることに決まった。手すりもない急な階段を上ると、クーラーもない暗い空間があった。「ここだ! そのまんまだ!」と思った。薄暗い店の中には白髪のマスターが1人いて、「暑いですから入口の近くに坐って下さい。」と4人掛けのテーブル席を勧められた。

他にお客さんは誰もいないため、マスターを交えて思い出話となった。私は昭和46年に大学に入学した。スガはその前の年に開店したのだという。その頃、私は元寺町にあった「オーヨー」というジャズ喫茶に出入りしていた。大学の定期試験の時も、次の試験までちょっと時間があればオーヨーで勉強して試験を受けたことも何回もあった。

私が大学に入学した頃、弘前にはジャズ喫茶は何軒もあった。もちろんほぼすべての店に行ったが、オーヨーがもっとも落ち着いて過ごせる場所だった。だからスガにも行ったことがある。もちろん窓はなく、黒い天井と壁、カウンターがあり、低い椅子とテーブル、記憶の中にあるスガとほぼ同じ、それに雰囲気も同じ。

2人の友人はジャズにはあまり興味がない。その友人たちのために、私がジャズを聞き始めた時によく聴いた「Take Five」をマスターが流してくれた。

♪♪タタンタタンタンタン・・・・、
 Won’t you stop ・・・・
   just take five ・・・・
     just take five ・・・・ ♪♪ 。

いろいろなことが頭の中に蘇ってきた。そして、やっぱりジャズを聴いていると落ち着く。

青森市には、「BUD」と「DISK」というジャズ喫茶があった。BUDの記憶は薄れてしまい、ネットで探しても見つからない。DISKは「New disk」として営業しているのを知っていた。宿泊したホテルの近くにあるので、久しぶりに入ってみようと思った。しかし、暴風と豪雨でとても外出できず諦めた。50年近く前のDISKは国道から地下に階段を下りて行って入ったが、今のdiskは場所も違い2階にある。そのうちに、訪ねてみよう。

青森で思い出したが、大学時代にオスカー・ピーターソントリオが来たことがある。その頃、レコードを聴いていると何か唸るような声が聞こえることがよくあった。青森のライブでそれが何かが分かった。オスカー・ピーターソンは声を出しながらピアノを弾いていたのだ。その時の印象は今でもはっきり思い出せるほど強烈だった。

猛暑に見舞われた夏ではあったが、なつかしい40年前のことを思い出した夏でもあった。若き日の思い出。