昭和52年3月に弘大医学部を卒業してから41年が過ぎました。今年は愛媛県松山市でクラス会を行い、同期生22人が集まりました。

数年前に、それまで4年ごとに開いていたのですが、そろそろ2年ごとにしようという話になりました。ところが、何と2年ごとではなく、毎年開いているのです。昨年は、函館でした。その前は、八戸、東京、長崎、沖縄でした。各地から集まりますので、クラス会当日だけでなく、前日夜に前夜祭も開きます。

長崎で開いた時のクラス会はまるで2泊3日の旅行でした。30人程集まりましたが、本番のクラス会より2人少ないだけの人が前夜祭に集まりました。翌日はほぼ全員が参加して、浦上天主堂、グラバー邸、稲佐山、とバスで市内観光です。もちろん、夜はクラス会本番です。この間、ずっとみんな一緒でした。

今回は11月3日、松山市で小児科を開業している友人が幹事となり、道後温泉での開催となりました。

私は11月3日に羽田経由で松山に行きました。羽田空港で誰かいないか探しましたが、誰も見つかりません。搭乗間際になり、何と長崎からのクラスメイトとばったり! 乗り換えの関係で、長崎から羽田へ来て、そこから松山へとのことでした。

たまたまホテルも同じで、クラス会の前に松山城へ行きました。松山城はお城も大きいのですが、石垣がすごい! 弘前城の石垣とは比べ物にならない! この時、インドのタージマハルへ行った時のことを思い出しました。宮殿のように見えるあの大きな建物は実はお墓なのです。ほぼすべてが大理石でできていて、インド中だけでなく周辺の国々から集められたのだそうです。1600年代ですから、運ぶのは象と人です。その時のコンダクターの話では、大理石を運ぶために、何千人という人が犠牲になったのだということでした。松山城の石垣を見た時に、きっとかなりの人が犠牲になったのかなぁと思いました。

クラス会は、歴史のありそうなホテルで行われました。近況報告をして、あっという間に過ぎてしまいました。会の終わりに、来年は仙台で開くことを決めて解散しました。私は二次会の後、12時前でしたが、開業している小児科医院を訪ね、こういうところで働いているんだなぁと感慨に浸り、ホテルへ帰りました。

翌日は、「坂の上の雲ミュージアム」を訪ねました。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』を中心に松山全体を紹介するミュージアムです。日露戦争で活躍した秋山好古、真之兄弟を中心に、正岡子規、夏目漱石など愛媛に関係する人たちのことが展示されていました。

その後、弘前と松山を結びつけている子規記念博物館へ行きました。子規は新聞「日本」で俳句を発表しただけでなく、結核で床に伏して亡くなるまで、陸羯南の世話になっています。このことは1つのコーナーで紹介されています。

秋山兄弟も正岡子規も貧しい下級武士の出身で、海軍兵学校などお金がかからない学校を選んで世の中に出ています。夏目漱石は東京での教授選挙に落選して松山中学の先生になったようです。松山市の人口は52万人、街を歩いていても歴史の重みが感じられるところでした。

65歳から70歳と高齢者になってしまったクラスメイト 女性の3人は一緒に参加した奥様方です