平成7年に沢田内科医院を開業しましたのでもう少しで25年になります。突然ですが、令和2年3月末で院長を退任します。沢田内科医院はそっくりそのまま長男の直也が継承します。
私が提供する医療を求めてこれまで通院してくれていた皆さんの中には、まさに「はしごを外された」と思われる方もいるかも知れません。ですから、沢田内科医院の診療に全くタッチしないのでは無責任ですので、外来診療を中心に直也を手伝う形で診療を続けます。
直也は、平成16年3月に岩手医科大学を卒業しました。その時はまさに現在行われているマッチングが始まる年でした。医学部を卒業して臨床研修を始める学生と、それを受け入れる臨床研修病院がそれぞれ希望する病院と学生を指名して、合致した病院で臨床研修を行う制度です。
直也は研究者ではなく臨床医を希望していました。私は自分の経験から、臨床医に必要なのは体で覚えることだということを話しました。つまり、臨床医は小賢しく知識を振り回すのではなく、自分の体を使って患者さんに対応するのが最も重要だということを。そこで、直也は神奈川県茅ケ崎市にある茅ケ崎徳洲会総合病院というところで臨床研修を行うことに決めました。
そこでは救急の研修が目的でした。あらゆる病気に対して素早く適切な対応ができるようになることです。茅ケ崎徳洲会総合病院では弘前地区のすべての救急車の数と同じくらいの救急車を受け入れていました。臨床研修を行う場合、患者さんひとり一人をじっくり診察して深く勉強するやり方と、できるだけたくさんの患者さんを診てたくさんの状況を経験するやり方の二つがあります。もちろん臨床の現場では両方のやり方が必要ですが、私は若いうちにできるだけ多くの症例を経験することが大事だと思っていました。
後に知ったことですが、そこの指導医も「本を読む暇があったら寝てろ!」とのことで、体で覚えるにはぴったりの病院でした。まずは体で覚えて、その後で本や文献を読んで理論的な裏付けをするということです。3年くらいの予定でしたが、若い研修医の指導の経験も積みたいとのことで、結局4年間その病院で研修しました。
茅ケ崎での研修の後、弘前大学消化器血液内科に入局しました。私の出身内科です。消化器疾患が専門で、肝臓病をテーマとして大学院を修了しました。その間に、弘前市立病院に2年半、弘大救命救急センターに1年、山形県酒田市にある日本海総合病院で1年間働いたことがあります。日本海総合病院の内科は消化器内視鏡が専門でしたので、非常に多くの内視鏡検査を経験できたようです。
直也は私と同じ消化器病を専門にしていますので、これまでの沢田内科医院の診療をそのまま引き継げます。また、医療に対する考え方も私とほとんど同じですので、沢田内科医院の精神もそのまま引き継いで沢田内科医院を運営すると思います。
第115号より