前号で紹介したわが家のモッホは、雨風に耐え、庭で元気に愛嬌を振りまいています。ただ、強風が予想された台風16号と18号が襲来した時は、身体に危害が加わりそうだったので家の中に入れました。モッホの記事を書いた後、外来診察の合間(診察しながら)に、津軽弁の「モッホ」がどの程度知られているものなのかちょっと調べてみました。方法は単純で、津軽弁を母語とする、あるいは標準語を話していても津軽なまりがある、概ね45歳以上の男女に聞き取りで行いました。現住所はカルテで分かりますが、必ず出生地と生育地を確認しました。

かなり津軽弁に詳しい八木橋哲夫さんは、新町の誓願寺周辺で育った方ですが、「モッホ」は知りませんでした。茂森、土手町など、いわゆる旧市内(これも平成の大合併で死語になる言葉かも知れませんね)の方は聞いたことがないようです。私が生まれ育った西目屋村はもちろんですが、相馬村、岩木町、下湯口、小沢、大沢、平賀、藤崎、と弘前を取り囲むような地域で育った人たちは、「モッホ」を知っていました。こんな狭い地域で、モッホという言葉だけでも、こんなに地域差があるのは驚きでした。

市内の女子高(今は共学でしたね)に勤務する鎌田紳爾さんはこんなことを教えてくれました。授業中に、「モッホを知ってる人」と聞いたところ、一人の生徒が手を上げたのだそうです。どこから来ているか聞いたところ、「相馬」とのことでした。旧市内で育った鎌田さんは、「モッホ」は知りませんでした。ただ、これで数十人の若者の脳に「モッホ」が刻まれました。西目屋村の若者も「モッホ」は知っていました。モッホという言葉も、あと半世紀は大丈夫なようです。

超音波検査を終わった時に、50台の女性に、「モッホって知ってるかい」、と聞くと、恥ずかしそうに「知ってます」と答えました。「どこで生まれて育ったの」と聞くと、「相馬」とこれも恥ずかしそうに答えました。もっと、自分が生まれ育った所は誇りに思いましょうよ。今の自分が形成されたのは、自分がそこで生まれて育ったからなのですから。

下湯口の石岡さんには、「モッホ」の鳴き声についても教えてもらいました。モッホが鳴くと、翌日は天気がよくなるのだそうです。「モッホー、モッホー、ノリカテホヘ」と鳴いているのだそうです。つまり、明日は天気がよくなるので、着物にノリを利かせて乾かせ、という意味なのだそうです。

そう言えば、この冬に、風邪で受診した子どもに、聴診器を暖めないで胸に当ててしまった時のことです。まだ小学校にも入らないその子は、瞬間的に「しゃっこいッ!!」と言いました。「ごめん、ごめん」と誤りましたが、こんな状況で、「しゃっこい」という言葉が口から出てくることが分かって、何だか嬉しくなりました。「これで、しゃっこいという言葉も80年は大丈夫だな」、とその子のお母さんに言ってやりました。(このニュースレターはインターネットを介して全国に向けて発信していますので解説します。「しゃっこい」とは、「冷たい」という意味です。)