最近、医師不足が言われています。産科や小児科は診療を中止したり、 内科医が不足して病院自体を縮小せざるを得ない状態になった病院もあります。 医師不足といいますが、数自体は年々増えています。 私が卒業した30年前は、医師国家試験に合格した人は4,300人と記憶しています。 現在は7,800人が合格しています。そして、医師不足とは言いますが、それぞれの病院を見ると、 30年前に比べて医師の数は明らかに増えています。
なぜ、医師不足なのか。それは単純な数の不足ではなく、 高度化した医療内容の変化に医療制度が追いついていっていない状態だと思います。私なりに考えてみました。
病院に経営が持ち込まれた結果、経営する自治体側とそこで働く医師の間に認識の違いが出てきました。 理事者側は給料や地位を用意すればいいと思っているかも知れませんが、 医師は自分が満足する医療を行いたいという意識が強く、その格差が大きいことが多い。 多くの医師は良心に基づき、最善の医療を行いたいと考えていますが、 収支を考えると良心的な医療を行うことが不可能になりつつあります。 その結果、公立病院で勤務を希望する医師が少なくなってきたのではないかと思います。 ちなみに、私もその一人です。
昔は、往診かばんを持って注射を1本打ち、それで医療は終わりという時代もあったでしょう。 お腹が痛い時も、以前であれば胃X線検査で診断したでしょうが、 現在は、胃内視鏡検査、腹部超音波検査、場合によっては、CTやMRIを使って詳しく診断します。 その結果、早期癌や膵臓癌などが見つかり治療が可能となりました。 つまり、医療技術の進歩に伴い、そこには多数の医師が必要になったのです。
以前の、「先生にすべてお任せします」という医療が正しいとは思っていません。 しかし、医学には限界があることを知って欲しいと思います。 最近は、患者さんに不都合なことがあると、何でも医療ミスとして訴訟の対象になる傾向があります。 医療には必ず危険がついて回ります。ミスがないのが当然だと思われると、医師側は診療に対して萎縮してしまいます。 若い医師は、産科や麻酔科のようなリスクの高い分野ではなく、医療事故が少ない科を選ぶようになります。 患者さんも専門医の診察を希望することが多く、医師側も自分の専門以外には手を出そうとしなくなります。 必然的に多数の医師が必要になります。
妊産婦死亡について例をあげます。 昭和30年には、全国で161万人の赤ちゃんが誕生し、一方で、約2,100人の妊婦さんが亡くなっています。 平成16年は111万人の赤ちゃんが産まれました、亡くなった妊婦さんは49人です。 子どもを生むというのが、以前は命がけのことでしたが、 現在は亡くなると医療側に責任があるとして訴訟になることがあります。 産婦人科や小児科の先生方の絶え間ない努力で、妊産婦の死亡がこんなに少なくなりました。 この事実を無視して責任を問われるのでは、産科の医師は自分で自分の首を絞めていることになります。 一生懸命な医師は燃え尽き、手を引く状態になります。
若い医師の意識の変化も進んでいると言われています。 つまり、医師としての使命よりも、給料や勤務条件など自分の生活面を重視するようになり、 専門領域以外には興味を示さないようになったと言われています。 世の中の流れのひとつで、特に若い医師に限ったことではないと思いますが、 高校の成績がいいから医学部へ進学するという世の中の風潮も影響しているのかも知れません。
平成16年から、医学部を卒業した後2年間の臨床研修が義務化されました。 その結果、地方の国立大学から若い医師の数が激減しました。 全国的に見ると、平成15年は、大学で研修する医師が3人に対して一般病院が1人でした。 これが、義務化後は、大学が2人に対して一般病院が2人となりました。 新聞を読むと、大学にはほとんど研修医が居らず、ほとんどが一般病院で研修しているような論調で報道しています。 しかし、4人のうち1人が研修場所を変えただけなのです。東京の大学病院は定員がほぼ一杯です。 ただ、弘前大学など地方の大学病院での研修医が減ったのが特徴です。 この結果、青森県は大学が派遣できる医師の数が激減し、県内の自治体病院の経営に大きな影響が出ています。
医師不足は単純に絶対数が不足しているだけでなく、医療の高度化、医師の意識の変化、 患者側の医療に対する意識の変化、などが複雑に絡まっています。 時代とともに人の考え方は変わってきます。 これに対して医療制度が対応できていないことが大きな原因ではないかと思っています。
第37号より