2月の終わり頃から高校や大学の入学試験があり、新聞を見ると合格発表もしているようです。しかし、子どもが大きくなってしまったわが家では、全く話題になることがなくなりました。その昔は、新聞を見ると合格者の名前が発表されていて、近所の子どもや知人の子どもがどこそこへ入ったなどと話題になり、道で会うとお祝いを述べたものでした。
最近は、個人情報保護が近所付き合いに優先し、町内の子どもたちがどうなったのか分からなくなってしまいました。個人情報保護は、個人を保護するという本来の意義が生かされるよりも、人と人との距離を遠くしてしまったような気がします。人類という動物の種を保存するためには、集団で生きて行かなければならないのですから、人と人との距離が遠くならないようにしなければいけないと思います。
話を元に戻しますが、私は青森県の高校入試の方法に疑問を感じています。私が子どものころは、学力試験と調査書だけ、極端に言えば学力試験の結果がすべてでした。最近の高校入試では、入試で複数の機会を与えるためとか、多様な能力を持つ子どもたちを選抜するためと称して、前期と後期に分けて選抜方法を変えています。しかし、15歳の子どもの能力をこの時点で分けて考える必要があるのでしょうか。基礎学力が不十分な15歳の子どもたちを職業高校に振り分けるだけでも私は疑問に思っていましたので、特にそのように感じます。
大部分の高校では、後期の募集人数が全体の10%程度です。新聞記事で判断すると、後期に応募するのは、前期で同じ高校を受けて不合格になった人たちが多いようです。つまり、多様な能力を持つ子どもたちとは言っても、結局は前期も後期も同じ集団から選抜しています。学力試験では測れない能力を持った子を後期で選抜するとしても、前期の90%の子と後期の10%の子の間に実際に違いがあるのでしょうか。選抜方法が違うために、何人かの入れ替えはあるのは事実でしょうが、全体として見ると、違いはないと私は思います。
むしろ、15歳の子どもたちに不合格という挫折感を味わわせることの方が問題ではないでしょうか。結果的に目標とする学校に入学するにも関わらず不合格ということを体験するのです。この事実は、卒業してもずっと付きまといます。また、次の目標に進むにしても、2度不合格を味わう子どもも少なくないと思います。失敗や挫折を乗り越えて、強い子どもに育つということもあるかも知れませんが、15歳の子どもたちには成功体験で、将来に向かって伸びて行って欲しいものです。失敗や挫折はもっと小さなことで体験すればいいのです。
第50号より