京都大学の入学試験会場から携帯メールでネットに問題を送って「カンニング」し、大学の入学試験業務を妨害したとして受験生が逮捕されました。 大学側としては、「想定外」の事態なのでしょうが、予想されたことです。ここで、最近ちょっと気になっていることを書きます。
私は、弘前市医師会看護専門学校で、看護師国家試験対策の補講を担当しています。 内科疾患について、国家試験に出そうなところを国家試験直前の看護学生に講義するのです。 その時は、いつもの講義と違い、「国家試験に通るための知識」を伝授します。 国家試験を分析すると、出そうなところがかなり分かりますし、実際、今年の看護師国家試験でも補講で講義したことがかなり出ました。
実際に、私たち臨床医があまり使わなくなった薬の副作用が繰り返し出題されたり、国家試験の内容は臨床現場とはかけ離れたところもあります。 考えて解答を出すというよりは、反射的に知識が出てくれば解ける問題が大部分です。 看護師になるためには、この試験を通らなければなりませんし、国家試験に通るためにはそれに対応して覚えるしかありません。 つまり、より多くの知識を蓄積した人たちが通ります。
もちろん、基本的な知識がなければ論理的に考えを進めることはできませんが、知識の多さは現在の環境ではそれほど重要ではなくなってきました。 私は診療する時に、机の上のパソコンをいつもインターネットにつないでいます。 不確実なことがあれば、ネット上の情報で確認します。使っている薬の副作用情報などは、瞬時に手に入れることができます。 必要であればプリントすることもできます。
研修医が情報端末をポケットに入れて診療する病院もあります。私たちが若い頃は、分からないことがあれば、自分の机に戻って調べたものですが、 今では、すぐに検索して情報を引き出すことができます。細かい知識がなければ診療に差し支えました。 しかし、今は、診療しながら調べることができます。 もちろん、知っているに超したことはありませんが、細かい知識を持たなくても、どこにあるかが分かればそれで間に合うのです。
電話番号は覚えたものですが、最近は携帯に登録してありますので、番号を覚えることは必要なくなりました。 それ以上に、番号自体を使わなくても電話ができるようになりました。弘前市医師会でカラオケが好きな先生が、 「昔は歌詞を覚えて歌っていたが、今は字幕が出るので歌詞を覚えなくてもよくなった。それで不自由はなかった。 でも、最近、眼科の先生に手術を勧められるくらい白内障が進んでしまったので、今日は歌えない。」、と言っているのを、 なるほどと思って聞いていました。
仕事をする上では、基本となることを知っていなければ何もできません。 しかし、知識を集積することよりも、知識がどこにあるかを知っていて、どのようにして引き出すかがもっと重要になってきました。 大学の入学試験でも看護師国家試験でも、どれくらい知識を集積したかが問われています。 しかし、知識は簡単に検索して瞬時に取り出せる現在は、いかにそれを運用する能力があるかが重要だと思います。
第62号より