名山出名士
此語久相伝
試問巖城下
誰人天下賢

この五言絶句は、弘前が生んだ明治のジャーナリスト陸羯南の詩です。名山は名士を出だす。これは久しく言われてきた。 それでは試みに問う、この岩木山の下、誰か天下の賢といわれる人が出たであろうか。 陸羯南は津軽の青少年に向かって志を持って天下一級の人物になろうではないかと呼びかけたのでした。 この詩は弘前高校校長だった小田桐孫一先生から教わったものです。 「誰人天下賢」の扁額は弘高創立85周年を記念して、私が高校1年生だった昭和43年に体育館に掲げられ、今も弘高生を見守っています。 しかし、誰もが天下一級の人物になれるわけでもなく、教育者としての小田桐校長は、「天下の賢」というのは、世の中になくてはならない人、 一隅を照らす人だと私たちに教えました。

人間として大切なことは、自分の能力を他人のために使うことだ

これは私の恩師、元弘前大学第一内科助教授の故千葉陽一先生から教わったことです。 動物も親は子の面倒をみますが、動物同士が助け合って生きる姿を見ることはほとんどありません。 人間は出産の時から他の人の助けを借りて生きています。そして、亡くなる時に死に逝く人を看取るという行為は動物にはないでしょう。 つまり、生まれた時から死ぬ瞬間まで人は助け合って生きています。これが人間と動物が違うところです。 千葉先生は、このことを言いたかったのではないか、そして、このことを実行して一生を終わったのではないかとこの頃思うのです。

高校を卒業以来、いつも「天下の賢」を意識していた私は「天下の賢」として生きているのだろうかと自分に問いかけてきました。 そして、千葉先生のことを思い出すたびに、「自分の能力を他人のために使って来ただろうか」と思うようになりました。 還暦を迎える年齢になった今頃になって、「天下の賢」として世の中の一隅を照らす行為は、 自分の能力を他人のために使うことそのものではないのかと思うようになりました。 つまり、私の2人の恩師は、結局同じことを言っていたのだと気づいたのです。

還暦を迎えた私は人生が終わることを意識しています。 子どもたち3人が社会人になったことで父親としての役割は果たしたのではないかと思っています。 また、30年以上に渡って医療活動をしてきましたので医師としての役割も果たしたのではないかと思っています。並行して行ってきたことですが、 自分の能力を次の世代に伝えようと、10年ほど前から若い医師の研修に携わってきました。 一緒に働く准看護師は看護師になるようにし、医師会看護専門学校でも看護師教育に微力を尽くしてきました。

これまでの60年、特に医師としての生活は他人の都合に合わせて生きてきたように思います。 このため65歳を過ぎた頃からは自分の都合で生きて行こうと決めていました。 しかし、還暦を迎えて改めて考えてみると、これまでの時間も結局は自分のために使ってきたことに気づきました。 これからも世の中の一隅を照らし、他人のために自分ができることをするしかないようです。 今の仕事は5年後は続けていることでしょうが、10年後には引退しているでしょう。 その間に次世代のためにできるだけのことをしたいと思っています。

(この文章は“年男“として寄稿を依頼され、弘前市医師会報平成24年1、2月号に掲載されたものです。)