中央政界では、自民党と民主党のダブル党首選挙が行われた。これまでは、与党の党首選挙は、すなわち総理大臣を選ぶ選挙でした。しかし、今回は違う。「近いうちに」ある総選挙の結果によっては、与党と野党が入れ替わる可能性があります。当然、総理大臣が交代しますので、党首選挙とは言いますが総理大臣に直結する注目すべき選挙でした。

最近の世論調査を見ると、特定の政党を支持する人が少なくなり、いわゆる「無党派層」がさらに多くなっています。これまでは、支持政党を持たない無党派層と言えば、若者を連想していましたが、今はこれが違うようです。つまり、私たちの年代の中高年層の多くも無党派層になったようです。断っておきますが、私は無党派層ではありません。

民主党に政権を任せたはいいが、次の参議院選挙では民主党を支持せずにねじれ国会を作り、政治の停滞を招いてしまいました。これは、有権者が長期的な展望に立った考えではなく、その時の時流に流されて選挙のたびに投票先を変えるようになった結果ではないかと思っています。そして、その中心的な役割を果たしたのが中高年層なのではないかと思っています。多数決の原理にしたがう民主主義では選挙で政治勢力が決まるのは当然のことですが、選挙のたびに揺れ動く国民の意向に左右されるのであれば、将来を見据えた政策を期待するのは無理というものです。

人は年齢とともに、現実に生活する社会とのつながりが深くなり、保守化するのが普通です。そして、政治的な考え方も固まって行きます。しかし、仕事は終身雇用ではなくなり、組織とのつながり、社会とのつながりが希薄化してきた現在の社会では、自分が生活する状況から将来を見渡すのではなく、新聞やテレビなどのメディアからの情報で自分の方向を決めることが多くなったのかも知れません。

自民党の首相もコロコロ変わりました。民主党になっても同じでした。自分たちが選んだリーダーを自分の選挙が危ないと見ると支持するのを止めるという政治家に責任があるのかも知れません。新聞の見出しを見ると、「谷垣では戦えない」などと一国のリーダーではなく、選挙の顔としてしか期待していないことが分かります。小選挙区制度になってから、ますます国会議員の粒が小さくなっているような気がします。所によっては、市長になるよりも少ない得票で国会議員になれるのですから、天下国家を論ずるよりも自分の足元を見る方が大事になってしまったということです。

民主党は、全体に気を配るトップの立場がやっと分かったようです。ただ攻撃をして政権を追い詰めればいい野党と国民全体のことを考えて政策を進めなければならない与党は違います。政党はどこでもかまいませんが、今現在のことではなく将来を見据えた政策を行う政治家の出現を期待したいものです。猿は木から落ちても猿ですけど、国会議員は選挙で落ちるとただの人ですから、期待するのが無理なんでしょうか?選挙で落ちてもただの人ではない人を選びたいですね。