元々、西目屋村には小学校が4校ありました。私が大学生の頃、40年前に3校が統合して新しい西目屋小学校になりました。その時、私が卒業した大秋小学校は消滅しました。もう一つあった小学校も統合して、現在は西目屋村には小学校が1校だけになりました。昨年、西目屋中学校は東目屋中学校と統合しましたので、私の母校はなくなってしまいました。

現在、西目屋小学校には1年生から6年生まで45人が在籍しています。私が卒業した西目屋中学校の1学年が73人でしたので、いかに人数が少なくなったかが分かります。西目屋村の人口は、当時、約5,000人で、今は約1,400人です。

10年くらい前から、図書や教材の充実のために西目屋小学校と中学校に寄付を続けてきました。本を読むことで、自分が知らないことをたくさん知ることができますし、世の中にはいろいろな考えの人がいることも分かります。西目屋村の子どもたちに、そのような機会を与えて、世の中に飛び出して欲しいと思ったからです。

私は弘前高校に入学するまで教科書以外の本を読んだことがありませんでした。現在の西目屋村の子どもたちが同じ状況だとは思いません。テレビやスマホ、インターネットなどでいろいろな情報に触れることができます。それでも、自分の経験から本を読んで欲しいと思っています。

西目屋中学校の先生方に対しては、中学生に本の読書感想文を書かせないで下さいとお願いしました。私自身は課題図書をきっかけに本を読むようになったのですが、本を読むことを他から強制されると逆に本が嫌いになるのではないかと思うからです。

読書習慣をつけることが大事です。もっとも有効なことは親が本を読むことです。家庭の中で親が本を読むと、子どもは自然に本を読むようになると思います。しかし、それが望めない場合は、学校で読書習慣をつけることです。それも、強制的にではなく自然に。西目屋小学校では、授業の合間に読書タイムを設けて、先生も一緒に本を読んでいるようです。

西目屋村は、このような長年の活動に対して顕彰碑を建てたいと提案してきました。何回も話を持ってくる長利允弘教育長には冗談でしょうと言ってたのですが、とうとう承諾してしまいました。今年は西目屋小学校統合40周年ですので、その記念式典に引き続いて小学校の前で顕彰碑の除幕式が行われました。関係者に交じって私も一緒に除幕のテープを引きました。その後、各学年から一人ずつ6人の生徒から感謝の言葉を頂きました。

石碑の「本」には2つの文が刻まれています。右側には、陸羯南の「名山出名士 此語久相伝 試問巖城下 誰人天下賢」の漢詩です。これは、吉澤秀香さんから頂いた書をそのまま写しました。左側には、「我が人生の原点なり 天下の賢の如く 崇高な志で生きる」と刻まれています。私の生き方に強く影響を与えた小田桐孫一弘高校長を意識したものです。文章自体は、西目屋村教育委員会の田澤桂司先生が提案したものです。

西目屋村の中学生は東目屋中学校に通学しています。この子どもたちのためにも、もう少し続けます。